「戦争の傷跡」を巡る!
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イギリス |
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警備兵 |
ロンドン |
戦時内閣執務室、チャーチル博物館
ウエストミンスター地区にある大戦下の地下執務室 |
クロアチア |
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ロケット砲基地跡 |
ヴィス島 |
ヴィス島の軍事要塞群
島全体が軍事要塞となっていた。巨大大砲設備跡、核シェルター跡まである。
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ドイツ |
3 |
収容者の服 |
ベルリン |
ザクセンハウゼン強制収容所
ベルリンの郊外に強制収容所がある。死体安置室、食堂などを見学できる。 |
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4 |
グルーネヴァルト駅 |
ベルリン |
アウシュヴィッツ行き列車
ベルリンのグルーネヴァルト駅17番線。
人々はここから列車で、ポーランドなどに設置された強制収容所へ運ばれた。 |
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5 |
東側検問所 |
ベルリン |
涙の宮殿
東西ベルリンの東側検問所。ここで人々は涙ながらに別れた。 |
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6
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シタージ本部 |
ベルリン |
東独、シタージ本部(国家保衛本部)
悪名高い、スパイの組織。小説、映画によく表れる。 |
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7 |
秘密警察特殊刑務所 |
ベルリン |
東独、秘密警察特殊刑務所
主に思想犯は入れられた刑務所。拷問用独房が凄まじい。 |
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8 |
壁と緩衝地帯 |
ベルリン |
ベルリンの壁
壁伝いに歩くと、監視塔、宣伝用拡声器、緩衝地帯が現れる。
続:ベルリンの壁を歩く |
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9 |
スターリンの銅像の耳 |
ベルリン |
スターリンの耳
カフェにスターリン巨大な銅像の一部、耳が保存されている。 |
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北朝鮮大使館 |
ベルリン |
在ドイツ北朝鮮大使館
金正日は留学中に、ここにも出入りしたのだろうな。 |
チェコ |
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金正日カップ |
プラハ |
共産主義博物館
レーニン像が迎えてくれる。スターリンの有名な言葉が壁に彫られていた。
One death is a tragedy,
One million deaths is a statistic.
J.V.STALIN |
ハンガリー |
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テロルの館 |
ブダペスト |
テロルの館、英雄広場、国会議事堂前広場、ドナウ川沿いの靴のハンガリーの苦しみの跡 |
フランス |
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レ・ミル収容所 |
エクス・アン・
プロヴァンス |
レ・ミル収容所
ここからパリを経由して、ポーランドにあるアウシュビッツに送られていった。 |
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マジノ線 |
レンバッハ |
フランス軍が対ドイツ用に建設した巨大な地下要塞がある。 |
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15
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D Dayの地 |
カン |
史上最大の作戦、ノルマンディー大作戦の地 |
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ホロコースト記念館 |
パリ |
銘板に「1942から1944年の間に、フランスで1万1千人の子供たちが密告などによって連行され、アウシュビッツに送られた」と記してあった。 |
ポーランド |
17 |
ワルシャワ蜂起 |
ワルシャワ |
ワルシャワ市内全域
1939年の第二次世界大戦開始から、共産主義時代の終焉まで。 |
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オスフカ地下施設 |
ブロツワフ |
ナチス・ドイツが建設した地下施設
1943年夏から建設し、1945年に建設中止。巨大地下施設 |
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アウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所 |
オシフィエンチム |
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
1940年から1945年1月まで存在した。250万人が殺されたる。 |
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20 |
アウシュビッツ強制収容所 |
オシフィエンチム |
アウシュヴィッツ強制絶滅収容所(2度目の訪問)
世界遺産ともなっている強制収容所。見学者が多い。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
オシフィエンチム |
ビルケナウ強制絶滅収容所(2度目の訪問)
世界遺産ともなっている強制収容所。見学者が多い。 |
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22 |
ゲットーの壁 |
クラクフ |
ゲットー
2006年の訪問。東欧を歩いたときに感じた暗い、抑圧感が蘇った。ナチスの旗、閉じ込められた人々。甲高い声で演説する党員。道路を叩く、軍靴を想像する。
2018年の訪問はここ。
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23 |
シンドラーの工場 |
クラクフ |
シンドラーの工場
第2次世界大戦中にユダヤ人の命を救ったドイツ人、シンドラーが経営した工場 |
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24 |
シゲシュタボ地方本部跡 |
クラクフ |
ゲシュタボ地方本部跡
第2次世界大戦中にナチス・ドイツのゲシュタボ(秘密国家警察)の地方本部が置かれた。拷問室、処刑室、収監者の壁に残されたメッセージが悲しい。 |
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25 |
プワショフ強制収容所跡 |
クラクフ |
プワショフ強制収容所跡
第2次世界大戦中にナチス・ドイツが設置した強制収容所跡。映画「シンドラーのリスト」はこの収容所を舞台にしている。 |
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ |
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旧ホリディ・イン |
サラエボ |
スナイパー通り
ボスニア紛争中、セルビア兵が民間人を手当たりしだい狙撃した大通り。 |
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秘密トンネル |
サラエボ |
秘密トンネルとサラエボのバラ
ボスニア紛争中、セルビアに包囲されたサラエボ市民が食料などを調達するために掘ったトンネル |
USA |
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全米日系人博物館別館 |
ロスアンゼルス |
全米日系人博物館
写真や模型が多く、あまり実感が湧いてこない。 |
韓国 |
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プロペラ機 |
ソウル |
戦争博物館
戦車、戦闘機がぎっしりと展示されている。DMZ(非武装地帯)カフェなんてものもある。 |
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北朝鮮兵士 |
板門店 |
非武装地帯、南進第3トンネル
韓国側から見た板門店。北朝鮮の南進トンネルは見もの。 |
北朝鮮 |
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北朝鮮側 |
板門店 |
非武装地帯
北朝鮮側から見た板門店。金正日もここに来たのだな。 |
中国 |
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上海ゲットーの一角 |
上海 |
上海ゲットー / リトル・ウイーン
ヨーロッパから逃れてきたユダヤ人の居住地 |
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33 |
旧フランス租界 |
上海 |
旧フランス租界
上海の美しい邸宅や集合住宅が旧フランス租界に集まっている。
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張氏邸宅 |
瀋陽 |
張作霖宅
日本とも関係の深い張氏の邸宅 |
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インドネシア |
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捨てられた戦車 |
ジャヤプラ |
第2次世界大戦の戦地
海岸に打ち捨てられた戦車が残っている。 |
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タイ |
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米軍機 |
ウボンラチャタニ |
ベトナム戦争下の米軍基地
アメリカはラオスとの国境に近いウボンラチャタニに空軍基地を建設し、ラオスの革命軍を攻撃した。 |
ベトナム |
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米軍機 |
サイゴン |
南ベトナムの首都
アメリカ軍、南ベトナム軍の兵器の残骸が残っている。 |
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ホアロー収容所 |
ハノイ |
ホアロー収容所
ベトナムがフランスに支配されていた時代に設置された監獄。ベトナム戦争中は米軍捕虜も収容された。 |
ラオス |
39 |
革命軍の兵器 |
ビエンチャン |
革命博物館
ラオスの革命の歴史をたどる兵器などが展示されている。 |
シンガポール
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40 |
旧日本軍本部 |
シンガポール |
日本軍の占領から降伏まで
日本軍が使用したフォート・カニング・パーク、イギリス軍のバトルボックス、日本軍が降伏した旧市庁舎などが現存している。 |
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