ベルリン

ベルリン発アウシュビッツ行き列車が出た駅

2013年8月5日



グルーネヴァルト駅の案内板

グルーネヴァルト駅にある案内板
今回のベルリン行で、訪問したかったのはSバーン、グルーネヴァルト駅17番線だ。ここからユダ人を強制収容所に運んだ。

1933年にベルリンには約17万人のユダヤ人が住んでいたそうだ。ナチスが政権を獲得してからユダヤ人に対する迫害が始まったことはよく知られている。

1941年から終戦直後までこのグルーネヴァルト駅17番線から5万5000人のユダヤ人がヨーロッパにある強制収容所に送られていった。

そのプラットホームが残っていて、警告碑となっている。



17番線プラットホーム

残されていた強制収容所行きプラットホーム
この駅から強制収容所行き列車が出発した。
行先はアウシュビッツ、テレジエンシュタット、リガ、ワルシャワ、ミンスクなど。

実は、この駅はSバーンでポツダム駅の近くにある。ポツダム駅の「インフォメーション」で、案内の若い女性に、「17番線」はグルーネヴァルト駅に存在するのかと確認したところ、「知らない」との返事があり、少々失望したのだった。
ダメもとで、グルーネヴァルト駅で下車した。17番線まであるような大規模駅ではない。「別のグルーネヴァルト駅があるのだろうか?」 

この駅はSバーンの2線が交差しているが17番ともなるとベルリン中央駅のような規模でなくてはならない。

心配しながら下車。プラットホームの地下道を歩いていると、17番線の表示が残っていた。


線路は森の中に消えている。

当時のそのままの煉瓦



強制収容所行き列車の記録
プラットホームには鉄板敷きつめられ、強制収容所行の列車がここを出発した日、ユダ人の数、行先が刻んである。

このプラットホームに集められたユダヤ人はどのような気持ちでいたのだろうか。

夏の太陽に焼かれ、ひとつひとつ人数や行先を確認してゆく。次第に、アウシュビッツにある強制収容所を訪問した光景が蘇ってくる。そこで、ユダヤ人たちはプラットホームで、右、左と分けさせられ、すぐにガス室に送り込まれる人物が決まったのだった。




アウシュビッツ行



テレジエンシュタット行



リガ行



テレジエンシュタット行



ワルシャワ行



ミンスク行



SACHSENHSN(フランクフルト近郊)行


駅の正面玄関に向かって右手には直接「17番線」へ行ける案内板があった。写真の奥が「17番線」



グルーネヴァルト駅正面



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