シンガポール

日本の占領から降伏まで、関係の地を巡る!
(ラッフルズ・ホテル、シティ・ホール、バトル・ボックスなど)

2016年8月10日〜14日




ラッフルズ・ホテル(かっての昭南旅館、日本陸軍将校の宿舎)

1942年2月15日日本軍に接収された。

接収後は日本陸軍将校の宿舎となった。



日本が接収した中心地

シンガポール川を行く遊覧船

ラッフルズの像、上陸地点にある。



日本軍の戦犯裁判が行われた最高裁と市庁舎(現、ナショナル・ギャラリー)
シティホール前のクリケット場 1945年9月5日、イギリス軍はシンガポールに上陸。
9月12日、日本軍との間に降伏調印式を、写真のシティホールで行った。

その後、日本軍兵士の戦犯裁判もこの場所で行われている。



白人の登録所となった建物(現、シンガポール・クリケット・クラブ)

日本軍占領中、白人が出頭を命じられた施設。

当時も現在もクリケット・クラブ。シティホールの前。



日本軍戦犯裁判が行われたヴィクトリア・メモリー・ホール
クリケット・クラブと道路を挟んで立っているヴィクトリア・メモリー・ホール。ここでも日本軍兵士の戦争裁判が行われた。1947年3月から4月まで、15回の裁判が行われている。



アートハウス



現、アジア文明博物館

1827年に個人の邸宅として建設され、その後、裁判所や
国会議事堂として使われた。

元は校舎だったらしい




抗日英雄、林謀成記念碑



カベナ橋

林謀成は1944年6月、日本軍憲兵隊に逮捕され、
その後、刑務所で死亡している。

一世紀以上も前に建築された橋。
観光客が写真を撮っていた。



聖アンドリュース大聖堂



フォート・カニング・パークにあるバトル・ボックス(地下司令部)
イギリス領マラヤ軍指令本部だった。通称バトル・ボックス。
訪問したときは、ガイド付きツアーの時間外だったので、地下壕に入れなかった。

ダービー・ゴーと駅とシンガポール川の間にある小高い丘にある。
駅から坂道。また距離があるので、歩くとかなりきつかった。一帯は公園になっていて、イギリス人の観光客が多かった。



司令部要塞への入口
イギリス軍が日本軍に降伏する決定は、ここで司令官会議を開催し、なされたらしい。



地下壕への入口



日本軍のシンガポール警備司令部が設置された建物(現、フォート・カニング・センター)

バトル・ボックスの裏手にある。14世紀にはマレーの王様の
居住地。イギリスの植民地時代は軍司令部が置かれた。

テラスからの眺め。
高台にあるので、市街地の景色が素晴らしい。



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