ホーチミン・シティ

戦争博物館、ビンタイ市場


2009年3月13日、14日


2009年3月13日

ダナンからホーチミン・シティ空港に到着したのは午後2時になっていた。ダナンの空港では昼食を食べそこなってしまった。レストランはあったが、オープン・エアーで空港の入口だったため、荷物を持って炎天下を長い距離を歩くのが嫌だったからだ。

ホーチミン市のホテルはバックパッカー街のデタム通りにしようと思っていた。タクシーでデタム通りまで行き、ゲストハウスを見つけよう。だが、空港で安くぼらなさそうなタクシーを探して時間を食ってしまった。サイゴン空港でうろうろしているうちに、案内人に捕まった。タクシー乗り場で、「こっち、こっち、同一料金だよ。10米ドルだ」と言われ、構わず乗車してしまった。

行き先を告げる時、ゲストハウスの場所は観光に便利な場所にしようと思った。その方が、出かけるにしても、往復タクシーを使う煩わしさがなくなる。



キム・ロン ホテル
場所はドンコイ通り近くの安宿にしよう。そうすればフランス植民地風の建築物を歩いて見られる。ガイドブックにある「Kim Long ホテル」と運転手に告げた。このホテルが空いていなければ、近くに[Bach Dang」ホテルがある。そこがだめなら、歩いて見つけよう。料金は30米ドルが望ましいな。タクシーの中で、そんなことを考えていた。

結局、「Kim Long ホテル」が空いていた。いくつか部屋が見せてもらう。気にいった窓の広い部屋は、1泊40米ドルだという。窓なし部屋は安かったが……。結局、何度もやりとりをした後、朝食込み36米ドルで決着した。



日本食堂へ

すでに午後5時近くだ。昼食を食べていないのと、暑さで疲労感がでてきた。それで、ベトナムの麺は食べたくなくなった。
地図を見ながら日本料理店まで歩く。分らなくなってきたので通りすがりのベトナム人(複数)に地図を見せて訪ねてみるが、一向に要領を得ない。あとで知ったことだが、ベトナムの識字率は、成人男子で94%、成人女子で87%らしい。偶然、理解できないひとに当たってしまったのだろうか。

レストラン、「どらえもん」に入った。先客がいた。日本人の中年のご夫婦だ。刺身を食べている。サイゴンに観光旅行だそうだ。3泊滞在し、今日の夜、成田行きで帰国するのだと言う。

このレストランの地図はおもしろい。ベトナムについての鋭い指摘が書いてある。曰く、「ベトナムでは親切もビジネスです。笑顔の中には下心がいっぱい!」。「ベトナム人の考え。日本人はだましやすい」。こんなことが書いてある。「楽しい旅の安全講座」というのもある。

注文したかつ丼を食べながら、私はこんな不遜なことを考えていたのだ。
「自分は、ダイジョブだあ。だまされないもんね。ひったくりにだってあわないもんね。だって、注意深いんだもん。それよりも、このかつ丼、8米ドル、高いよ」
この時は、後でやってくる強盗、騙しに無抵抗の自分を知らなかったのだった。
              


どらえもんで食べたかつ丼

ホテルに戻ると、明日の市内ツアーに申し込んだ。12米ドルだと言われるまま、ほとんど価格交渉もしないままOKした。旅行にでて1週間がすぎた。疲れが出て、戦う気力もなくなってしまったのだ。ホテルでメールをチェックし、NHKの海外放送を見ながら眠ってしまった。

 



2009年3月14日


朝食は、インスタントラーメンです。


元気が回復したので、朝食はベトナムの麺を頼んだ。このときまで、昨日のホテル代の交渉で完全勝利を自画自賛していたのだが……。テーブルにでてきたのは、インスタント・ラーメンに卵を落としたものだった。

この朝食代をホテル代に入れるかどうかで、かなりの時間戦った。ホテル側は朝食無しならば35米ドル、朝食をつけると36米ドルだと。つまり1米ドルが朝食だ。そのとき、豪華絢爛たる食事を想像していたのだった。


オムレツ

朝食です
「ラーメンなら、朝食つけてもらわなくともよかった」
そう考えても、遅い。もう目の前にだされ、湯気をたてているのだから。



市内見物へ

先ずは、戦争証跡博物館


ツアーのお兄さんがホテルまで迎えに来てくれた。今日のホーチミン市内ツアーは12米ドル、ホテル送迎ありということになっている。車でデタム通りにあるツアー会社の事務所に連れていかれた。そこで待て、と言われる。小さな道路にある事務所だ。バックパッカーがひっきりなしにやってくる。メコンデルタ行き、プノンペン行きなどのバスが彼らを乗せて、次々に出発する。わたし? 事務所のドトール・コーヒにあるような小さな椅子にこじんまりと腰をおろしたまま、忘れ去られたように佇んでいる。

壁に値段表がある。市内ツアー、9米ドル。なんかヘンだ。だって、わたしは12米ドルを払ったのだ。差額の3ドルはホテルのお姉さんの懐に消えたのか? ホテル代で勝利したと思ったが、朝食の貧しさ、市内ツアーの差額ですでに元をとられている。バスに乗りなと、ガイドがやってきた。

おんぼろバスに乗る。同じように乗っていたドイツ人の夫婦がガイドに尋ねた。
「このバスは、本当にイングリッシュ・スピーキングの市内ツアーか?」
だって、乗っているのはしょぼくれている日本人。ボルネオ島から来た4人組の中年。フィリピン人の5人連れだからだ。白人はオランダの女性2人だけだ。


この博物館の外壁は、右の写真でおわかりになるように、完成していない。長い間、放置されたままになっているようだ。それほど、厳しい財政状況なのだろうか。ちなみに、入館料は15000ドン、90円だ。

ここに展示されているのは、アメリカの戦闘機、ソ連製の戦車などである。サワダの写真もある。変わったものでは「
ベトナムに平和を、ベ平連」や「人類みな兄弟」というものまである。右も左も入り乱れ、ぐちゃぐちゃだ。




チョロン地区

天后宮


バスはチョロン地区に入った。ホーチミン市の中華街。ベトナム戦争終盤はサイゴン近郊では、まずこの地区に解放軍が入ってきた。そして、デュラスの「ラマン(愛人)」の舞台である。


渦巻き線香が下がっている

線香に火をつける



ビンタイ市場とその付近


市場は屋根があり、人や品物が密集しているので、暑く気分が悪くなってきた。外に出て、空気を吸い、市場の周りを歩いた。掘立小屋をつなげた商店だが、品物の展示はなかなかお洒落だ。ただ、ハエがまとわりついてきて、うっとおしい。

木の実

これもナッツ類




市場の周り

食堂

果物を売っている

ツアーの客、オランダ人とフィリピン人



ケンタッキー・フライドチキンに逃げ込む

ツアーの集合時刻まで時間があったので、道路の反対側にあったKFCに入った。なにせ人の動きが煩く、暑く、立っていられない。冷房のあるところで、紅茶を頼んだ。これが45000ドン、270円。日本並みの価格である。同じツアー客のオランダ人の娘さんもセットを頼んで食事をしていた。



KFCから見たビンタイ市場。
電線が入ってしまって、写真が
取りずらい。


マレーシアから来た人の話では、このツアーをインターネットで申し込んだら8米ドルだったそうだ。自慢じゃないが、わたしなんか12米ドルも払った。5割高だ。こういうのは気持ち良くない。暑さもあって、まあ、いいかとすぐに丸く収めてしまった。

ビンタイ市場の前で

運転手も女性です

客待ちです


KFCで紅茶を飲みながら、ビンタイ市場前の光景を観察した。荷台に積みきれないほどの大きな荷物をいとも簡単に単車や三輪車に乗せてしまう知恵はたいしたものだ。彼らは一様に、険しい顔つきをしている。天下太平、万事OKのぼんやりとした顔つきをしているのは、日本人のワタシだけのようだ。

Tシャツを売るのだろうか

これもスゴイ

勇気がありますね

道路を横断中です


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