ソウル

戦争記念館、漢南タルトンネ、貞洞

2011年2月9日



戦争記念館
東横インの朝食はおにぎりもサラダも、漬物にキムチがあるところも日本と同じ。ゆっくり朝食をとって、戦争記念館にでかけた。

地下鉄は「三角地」。出口をでたところで、記念館がどこにあるのか分からなくなってしまった。通りすがりのお嬢さんが入口まで案内してくれた。


戦車、戦闘機がぎっしりと展示されている。すごい。かなりの数である。



哨戒艇「天安」沈没事件、北朝鮮実行の証拠



館内展示物
左は、北朝鮮がDMZに掘った南進用トンネルで発見されたトロッコ。貴重なものまで展示されているではないか。

中国軍や北朝鮮人民軍の展示物はあまりなかった。人形や写真である。チャルメラを吹き銅鑼を打ち鳴らして進軍する八路軍の人形もあった。



ソ連のオートバイ。子供が跨って遊んでいた。

館内には「DMZ」カフェがある。



昼食、戦争記念館にて

戦争記念館でジャンジャンパゥを食べる。

帽子を被ったまま食事をする人たち



漢南タルトンネを目指す、漢南駅



駅から見えた漢南のタルトンネ

プラットホームから見えた漢南の丘、タルトンネ
漢南タルトンネへは蓮池薫著「半島へ、再び」を読んで行きたかったところだ。本に記してあるとおり、中央線で漢南駅で下りる。

駅から山の方角に向って交差点を渡る。おじさんたちが焚き火をしている。火にあたって、話をしていきたいところだが、戻ってからにしようとタルトンネに向う。

蓮池さんたちもこの小道をのぼったのかな? 
呟きながら坂をのぼる。最初は比較的、新しいアパートが現れる。低いほうが比較的裕福な人たちが住んでいるのだろう。配達の2輪オートバイが坂をのぼったり、下ったりしている。お嬢さんがビニール袋を提げて坂を下ってくる姿もある。



いよいよタルトンネだ

こんな細い路地を行く。

丘の上の教会が近づく



さらに、坂をのぼる

火事にあった家の跡
やがて細い路地に入る。いつものとおり、左に右に、気の向くまま坂をあがっていく。途中、焼けた家があった。ここまでは消防車も来られないだろう。

眼下には漢江の水が凍っている。春になれば長閑な風景に変化するに違いない。



おばけ市場に着いた
頂上についた。駅から見えたキリスト教会がある。その先には細い道路に沿って小さな商店が並んでいる。

息を切らして坂をのぼり、お化け市場まで買いに来る人がいるのだろうか。そんな人がいるから、市場があるのだと思っても……。

でもここには朝鮮戦争後、ずっと住んできた人々がいるのだ。わざわざ不便なところに住み続ける人々の気持ちもあるのだ。便利なマンションに住めない人もいるのだろうし。
ここに住む人々の人情の濃さを想像する。にわかに気持ちが明るくなってきた。タルトンネのくすんだ路地も、寂れた商店も彩り鮮やかに蘇ってくる。日々、生活する人にとっては、住むところが楽園なのだろう。



漢南駅近くに戻る



コーヒーでひと息
駅に到着したとき、駅の近くでおじさんたちが焚き火にあたっていたが、すでに誰一人いなかった。先に、焚き火にあたりながら話をすればよかったな。

体が冷えてきたので、駅前のコーヒー店に入る。そこのマスターと話をしているうちに、日本語を話す青年がやってきて、1時間半も長居してしまった。

「どうして、タルトンネのようなところを訪れるのですか?」
「だって、ここもソウルですよ。観光地なんて、どこも同じ。日本では見られないところをみたくて……」



漢南駅
ここでも切符を購入するとき困ってしまった。自動販売機に日本語が現れない。土地の人の助けを借りなければならなかった。こうやって、多くの人に助けられ、旅行しているのだ。



歴史の舞台、貞洞

大韓聖公会大聖堂
ここからガイドブックは鄭銀淑著「韓国の『昭和』を歩く」に変わる。「貞洞一帯は19世紀末、外国公館が集まり、朝鮮半島をめぐる激しい外交駆け引きの現場となった」とある。

大韓聖公会大聖堂の裏に回ってみる。そこにはイギリス大使館があるはずだ。静かな地域である。大使館前で写真を撮ろうとしたら、ガードマンが走ってきた。

旧府民館

写真の奥に、イギリス大使館がある。
イギリス大使館の隣は徳寿宮。高宗が旧日本軍の襲撃を受ける事態に備えて、徳寿宮に移り住んだのだろう。ここにはロシア、アメリカ、イギリス大使館が軒を接しているのだ。

こうして佇んでいると、この地で歴史が動いたのだという感慨に襲われる。今や、繁華街から離れ、ひっそりとしている。



圓丘壇
ここは高宗が皇帝を宣言した場所。神聖な場所の一角にホテルができたのは日本のせいだだが、今や、ここに来るには駐車場の脇から体を細めて階段をのぼらなくてはならない。

ウエスティン チョースン ホテルの客室からはライトアップした神聖な場所がみえるのだろう。もったいない。いかにも李氏朝鮮王朝の遺物をないがしろにしているのではないのだろうか。
二人の日本人女性が大声でこの神聖な場所にやってくる。中年の女性たちは、写真を撮り終えると、さっさと丘を下っていった。その潔さの方が今風なのかと思った。

10年以上時間をあけてやってきた一帯はすっかり変わっていた。以前は李氏朝鮮の雰囲気があったのだが、すっかり潰されている。



夕食、東大門
夕食は東大門の焼き魚横丁に行った。数日前は鯖だったから、この日はさんまを注文した。食堂はこの日も若い夫婦が楽しそうに魚を突っついていた。女性のごはんを旦那に分けているのが微笑ましい。




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