サラエボ

ボスニア紛争中、秘密の地下トンネルとセルビア軍陣地

2018年8月16日





秘密の地下トンネル


ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は1991年から1995年まで4年間、続きました。
その間、死者20万人、難民・避難民200万人がでました。首都、サラエボでも
殺戮が繰り返されました。

上の写真は秘密トンネル博物館の切符(10マルカ、700円)です。
トンネルは全長800メートルですが、そのうち25メートルが公開されています。

当時、山に囲まれたサラエボはセルビア軍に包囲され、ライフラインが絶たれ孤立していました。
1993年にトンネルが国際空港の滑走路の下に建設され、物資の輸送ができるようになりました。
このトンネルはサレエボから逃げる人、レジスタンスに戻ってくる人の秘密通路、また生活必需品
も秘密通路となりました。まさに命綱となったトンネルです。






サレエボは山に囲まれた都市です。山にセルビア軍の陣地が設けられ、
雨あられとばかりに、街に砲弾を落とされました。貯水池に毒を投げ込ま
れ、飲み水にさえ苦労した、とガイド。

右上の細い通路のような箇所に国際空港があります。
その下に秘密トンネルが掘られました。




サラエボのバラは血の色!


サラエボのバラ。
防弾による攻撃で死者がでて、流れた血の跡を赤い樹脂で埋めてありました。
トンネル博物館のすぐ近くにあります。

おびただしい血が流れた。

無数にある銃弾の跡



セルビア軍陣地だった「イエロー・フォートレス」



写真の右下の白いものは墓標。キリスト教徒だったことを示す白い
墓標が街の至るところでみられる。それほど死者がでたのだ。

セルビア軍はこの高台に陣地を築き、眼下のサラエボを爆撃した。
肉眼ではビール工場の煙突が破壊されたままになっているのが見える。



1984年、サラエボ・オリンピックのボブスレー施設跡

廃墟となっているオリンピック施設。

ガイド曰く「サラエボが最も繁栄していた時期だった」

サラエボ・オリンピックが開催された競技場は墓地になっている。
そこにある白い墓標はキリスト教徒。黒は回教徒となっていた。





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