秘密の地下トンネル |
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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は1991年から1995年まで4年間、続きました。 その間、死者20万人、難民・避難民200万人がでました。首都、サラエボでも 殺戮が繰り返されました。 上の写真は秘密トンネル博物館の切符(10マルカ、700円)です。 トンネルは全長800メートルですが、そのうち25メートルが公開されています。 当時、山に囲まれたサラエボはセルビア軍に包囲され、ライフラインが絶たれ孤立していました。 1993年にトンネルが国際空港の滑走路の下に建設され、物資の輸送ができるようになりました。 このトンネルはサレエボから逃げる人、レジスタンスに戻ってくる人の秘密通路、また生活必需品 も秘密通路となりました。まさに命綱となったトンネルです。 |
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サレエボは山に囲まれた都市です。山にセルビア軍の陣地が設けられ、 雨あられとばかりに、街に砲弾を落とされました。貯水池に毒を投げ込ま れ、飲み水にさえ苦労した、とガイド。 右上の細い通路のような箇所に国際空港があります。 その下に秘密トンネルが掘られました。 |
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サラエボのバラは血の色! |
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サラエボのバラ。 防弾による攻撃で死者がでて、流れた血の跡を赤い樹脂で埋めてありました。 トンネル博物館のすぐ近くにあります。 |
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おびただしい血が流れた。 |
無数にある銃弾の跡 |
セルビア軍陣地だった「イエロー・フォートレス」 |
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写真の右下の白いものは墓標。キリスト教徒だったことを示す白い 墓標が街の至るところでみられる。それほど死者がでたのだ。 セルビア軍はこの高台に陣地を築き、眼下のサラエボを爆撃した。 肉眼ではビール工場の煙突が破壊されたままになっているのが見える。 |
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1984年、サラエボ・オリンピックのボブスレー施設跡 |
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廃墟となっているオリンピック施設。 |
ガイド曰く「サラエボが最も繁栄していた時期だった」 |
サラエボ・オリンピックが開催された競技場は墓地になっている。 そこにある白い墓標はキリスト教徒。黒は回教徒となっていた。 |
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