バスでレ・ミル収容所跡へ |
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エクス アン プロバンスの観光案内所で行き方を教えてもらった。バスは4番。乗り場は観光案内所のある通りの停留所。約20分でバスはレミル収容所跡(停留所はGare
des Milles)に到着。バス代は1ユーロだった。 |
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レ・ミルで下車 |
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バスを降りると強烈な日差し。施設が見える。 |
線路を渡る。 |
レ・ミル収容所跡 |
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収容所の全景 |
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入場料、11ユーロを払って施設内へ入る。荷物検査が厳しい。 当時のフランス政府がドイツに協力して収容所を設置した。そこに屋根瓦やレンガをつくる工場を設営し、ユダヤ人たちを寝泊まりして働かせた。 収容人員、総数の把握はできなかったが、ここから約2000人がアウシュビッツ強制収容所に送られたと壁に記されてあった。 建物内は粉塵で息苦しかったとの説明もあり。また子供と女性の階層、男性の階層、工場と別れていた。施設内を歩いていると今でも当時の暗さが伝わってくる。 |
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収容所内 |
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地下にあったレンガ、瓦工場跡 |
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上階 |
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ユダ人が寝泊まりした階 |
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宿泊階から見える景色 |
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書籍 |
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売店で図書があったので30分ほど読ませてもらった。 上海からレ・ミル収容所の人物に宛てられた手紙も掲載されていた。 写真左。 |
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展示物と説明 |
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敷地内の施設跡 |
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アウシュビッツ行列車 |
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また、外には当時の鉄道車両が展示されていた。家畜運送用の車両に人間が50人から60人詰められて、パリ近郊のドランシーにある施設に運ばれたようだ。その先は、アウシュビッツ。 エクス・アン・プロバンスの華やかなミラボー通りからバスでたったの20分のところに収容所跡がある。ここには訪れる人も少なかった。 |
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昼食、エクス・アン・プロヴァンス |
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見かけは立派だが……。 |
満を持して日本食堂に入った。 前日の中華料理で嘔吐と下痢で、夕食は食べられなかった。日本食ならば体力も回復するだろうと目論んだ。 ああ、ワタシは日本食でしか生きられないのだな。そして自分に自信を与えてくれるのはフランス料理ではなく、勿論、中華料理でもなく、日本料理以外にない。おお、なんと立派な日本人か! その日本食堂はホテルに置いてあった雑誌に広告が掲載されていた。名店じゃないか。カツ丼を食べようか、カレーライスにしようかと胸をときめかせる。歩いているうちに涎がぽたぽたと落ちる。 メニューでカツ丼を探す。ところが「NATSU」なんていう料理名が載っているがカレーライスはない。スシ、焼き鳥、豆腐……フランスでよくある日本料理店の品ぞろえだ。もちろん、料金は高い。それは覚悟して背も伸ばして入ったのだ。比較的安い「NATSU」なんていう「スシと冷やしうどんの組み合わせ」を注文。これで14ユーロ。 やってきたぞ! 冷やしうどんを一口。しょっぱい。あれっ、中華の汁じゃないか。それも嫌と言うほど醤油たっぷりだ。舌がしびれる。 口を誤魔化そうと、スシに手を出した。サーモンだ。ネタでは一番安いのできたか。そのスシは味がない。でも、勿体ないので食べなくちゃ。そこで名案が浮かんだのだった。人は窮地に陥ると、頭を絞る。うどんのしょっぱい中華汁と味のないスシを交互に食べれば口の中で混じっていい味になる。フランス人はこうして食べているのか。彼らの奥深さに敬意を表したのだった。 |
しょっぱいなあ。 |
味がないスシ |
寿司にコーヒー。やはりおフランスだな。 | |
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