ブダペスト

人民の苦しみと抵抗の跡、
テロルの館、英雄広場、国会議事堂、ドナウ川沿いの靴

2018年8月6日〜10日




テロルの館
テロルの館がある建物は、1937年からハンガリーのファシスト集団「矢十字党」が使用していた。

ナチス・ドイツの後押しで、この党が権力を握ると「忠誠の館」と命名され、矢十字党の本部となった。1945年にソ連の赤軍が来ると、共産党の秘密警察の拠点となった。

現在は過去の恐怖政治の実態を展示している。
1階には、1956年のハンガリー人民蜂起を圧殺した戦車が展示されているし、地下には監獄の跡もある。


入場料は3000フォリント(1200円)。館内は撮影禁止。

建物の壁には、犠牲者の写真がある。

入場には長い列だった。



アンドラーシ通り
建設されたときは、時の首相の名前を冠して「アンドラーシ通り」となった。その後、時代とともに、「スターリン通り」「ハンガリー青年通り」「人民共和国通り」と名を変えている。

ハンガリーを代表する通りということか。現在は当初の「アンドラーシ通り」に戻された。




国会議事堂
国会議事堂の前に広がる広場、コシュート・ラヨシュ広場にはぜひ立ってみたかった。

この広場はしばしば歴史の舞台となってきた。
最近では、節目で集会が行われてきた。
1956年10月25日、ハンガリー人民蜂起で広場に集った群集に、周囲の屋上から一斉射撃した場所だ。

1989年7月11日にはアメリカのブッシュ大統領がここで演説した。
1990年代の10月23日には、1956年事件の追悼集会が行われた。

2006年9月中旬〜10月23日には、政権に対する大規模なデモが行われた。

国会議事堂から見た広場




ドナウ川沿いの靴

写真の国会議事堂からすぐ。
コシュート・ラヨシュ広場から歩いてすぐのところに、「ドナウの川沿いの靴」がある。

1945年春。多くのユダヤ人が矢十字党の党員らによって射殺され、そのままドナウに投げ込まれた事件の慰霊碑だ。

国会議事堂からこの靴の慰霊碑辺りは、ハンガリー動乱のときも民衆の血が流れた。



トラムに乗って!



英雄広場
1956年10月、英雄広場に建てられたスターリン像が民衆により足元から切断され、倒された。

現在は土台と靴だけが残っているので、訪問してみた。その場所一体は板塀で囲まれ、近づけなかった。観光案内所で尋ねると、再開発中だとの答えが返ってきた。



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