中国、国境、丹東駅出発 |
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朝、ホテルのロビー集合時刻は7時30分。ツアー客は、果たして鉄道に乗れるのか不安を口にしている。10日前、新義州から30分ほど南の龍川駅で大爆発事故が発生しかからだ。その数時間前には、金正日を乗せた列車が龍川駅を通過したばかりだから、テロ説も流れている。 |
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丹東のホテルロビーから北朝鮮を結ぶ橋をみる。 |
ツアー会社の社長さんは、鉄道に乗れなければバスで行く、と言っている。 ホテルを出発したバスは中国側の丹東で出国手続きをするために役所に入った。 北朝鮮に入る貨物トラックが並んでいた。このほか、数台の中国人観光客を乗せたバスも見えた。我々のバスも列に並んだ。 |
鴨緑江、中朝友誼橋をを渡る! |
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国境で待ち続けた。写真を撮ると怒られそうだし、トイレに行くさえ気が引ける。 皆、沈黙してバスから見える鴨緑江を見ているだけ。ホテルをでてから1時間30分が過ぎた。 バスはそろそろと動きだす。ツアー客は運転席近くに殺到し、近づいてくる橋に目を凝らす。 タイヤが板を踏む音がして橋を渡り始めた。9時15分だ。この橋は鉄道と自動車の共用で、列車が走るときは自動車は待たなければならない。5分ほどで橋を渡り、北朝鮮、新義州に入った。 |
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新義州で北朝鮮入国手続き |
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新義州に入ると、北朝鮮への入国手続きがある。 パスポートは旅行社に預けたままだ。我々はバスの中で待機する。 軍人がバスに乗り込んできた。厳しそうな目つきで、ツアー客を一瞥する。前の座席の人は手荷物を開けさせられた。我々もか。身構えると、軍人は2人だけチェックして終わりにしてしまった。 次は、携帯電話を預けなければならない。持込み禁止なのだ。ツアー会社の社長さんが広げたビニール袋に、携帯を入れる。社長さんは、税関検査で時間がかかるといけないから、日本の煙草を2カートン渡したんだよ、と話していた。そのほか、日本のコメも土産用に持ってきているとのことだ。こうして、我々の旅行がスムーズにいくのか。 我々は固く写真撮影禁止を言い渡された。 バスを降りて、トイレに行く。小は、横に一列に並んでいる方式だ。上に窓があった。だれもいないので、覗いてみた。向こうは公園らしかった。工事をしているらしく、数人の人がツルハシをふるっていた。取り囲むおおぜいの人が、激励している。スピーカーからは勇猛な調子の曲が流れている。いかにも北朝鮮らしい光景だ。働くひとは数人。応援者は多数。北朝鮮に入国した途端、いい景色を見ることができた。だが、トイレが臭い。吐きそうになってしまった。 ここで北朝鮮の旅行社の日本課長、李さんとガイドの金さんが加わった。 |
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北朝鮮、新義州駅 |
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バスで駅前に到着した。 バスを降りると追い立てられ駅舎に入った。その間に、広場の奥に、巨大な金日成の像をちらりと見た。駅の前には中年の男たちがたむろしていて、強烈なガンを飛ばしてきた。暗い待合室で、列車を待つ。 |
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新義州駅で |
我々の列車は特別列車らしい。ホームに降りると、端のプラットフォームには、北京発ピョンヤン行きの列車が東風号型機関車にけん引されて到着した。客車は3両だ。 我々の列車は午後0時45分発。今、到着した国際列車は午後1時発である。 また、写真撮影禁止を申し渡された。プラットフォームから見ると、セメント製の枕木はほとんど中央部で折れている。駅の端で、蒸気機関車が運行していた。 「蒸気機関車があると、我々は遅れていると言われる。写真をとってはいけない」 ガイドが言う。 |
列車に乗って出発を待つ。窓の下に子供が寄って来た。手を差し出し、物をねだってきた。何かを渡しているところを発見されたら、厳重な監視の対象になるだろう。それでも窓を少しあけ、百円ショップで買ってきたお菓子を線路に落とすツアー客もいる。子供は裸足。アカだらけだ。子供は我々に手を出している。早くしろよ、そんな感じで顎をしゃくる。数人の子供たちが列車の下で手を出している。 進行方向左側の窓はふさがってしまった。龍川駅の爆発現場は左側なのだ。ウエット・ティッシューで窓を拭く人もいる。だが、ここでも撮影厳禁を言い渡される。 |
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車両には金親子の写真が飾ってある。 車両自体は、旧く、重たげだった。 |
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新義州駅出発。テロ疑惑の現場「龍川駅爆発地点」を通過 |
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新義州を発車して25分が過ぎた。 いよいよ龍川駅だ。列車内は監視員が増えたようだ。どこからやってきたのか、ツアー客と同じ数の監視員に取り囲まれている。 赤茶色のがれきの山だ。柱と骨組だけが残っている家、むき出しの骨組、しかし、人々の姿は見えない。列車は爆発現場の脇を通過していく。500メートル四方がくぼんでいる。やがて白いビニールシートで覆われた仮設小屋が見えてきた。無人の破壊現場だ。人々はどこに行ってしまったのか? |
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北朝鮮のビール |
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風景の写真を撮影できないので、ビール瓶を撮影してみた。この車両はわれわれだけしか乗車していなかった。 | |
車内で配られた弁当 |
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弁当は喉を通らなかった。茹で卵、あとは野菜。ご飯もパサパサして残してしまった。 |
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ピョンヤンまでは5時間半かかるとのことだ。線路の脇はざらざらした淡い色の大地が広がっていた。 時折、集落を通過する。その周りだけ緑がある。淡い緑だ。山の上まで耕されているが、人が見えない。やっと人が見えると、黙々と背を丸めて歩いている人だった。 ピョンヤン駅の手前で広大な操車場を通過した。貨物車両が打ち捨てられたように置かれている。 いずれも古く、錆びが浮いている。線路は手入れがしていないのだろう。沈んでいる。バラストも積んでいないのだ。まるで貨車の墓場だ。1970年代までは活況を呈していたのだろうが、その後数十年間保線がされていないようだ。 ピョンヤン駅に到着 |
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ピョンヤン駅はプラットホームが幅広い。 多分、ここには階級の高い人の車が入れるのだろう。車から列車に乗ることができる。 広い駅舎は寒かった。列車の発着が見られなく、列車を待つ人々もいなかったからだろう。 |
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高麗ホテルにチェックイン ピョンヤン駅を出て、ホテルまではバスだ。 ガイドが、「皆様には、予定の宿泊ホテルを変更し、特に、朝鮮旅行社の配慮により高麗ホテルに変更します」と言ったので、歓声があがった。当初は羊角島ホテルの予定だった。そこは中心街から離れていて、不便なのだ。 ホテルで夕食となった。魚のフライ、鶏肉、スープとご飯だった。 |
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市内散策 夕食の後、ガイドが駅の周辺まで散歩しましょう、と誘ってくれた。 高麗ホテルから駅までは、歩いてすぐ。外に出ると、ピョンヤンっ子がさっそうと脇目もせずに歩いていた。私は歩きます、と宣言するような歩き方だ。 駅前には自由市場ができていた。ひと坪くらいに仕切られた仮設の屋根付き商店で野菜などを売っている。ほとんど人は出ていない。 |
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ピョンヤン駅 |
夕食で腹具合がわるくなったので、ガイドに、「ひとりでホテルに戻りたい」と言ってみた。ツアー客は大同江まで歩いて行くらしい。 「それじゃあ、ホテルに帰ってください」 ガイドが言うと、ツアー客は、「あやしいなー」と羨ましそうだった。だって、ひとりでピョンヤンを歩けることになってしまったのだから。 |
「前にある日本人がピョンヤンに来ましてね、その人は捕まりましたよ。だって、アパートに入り込んで、ゴミ箱まで漁ってもっていくんだからね。だれだって、ひとの家に入り込まれて、家探しをされたらいやがるよね。○○サン、気をつけてね」 ガイドはインパクトのあることを言う。 |
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