国境の町、丹東


2004年5月1日

出発まで、

龍川駅爆発事故の影響


旅行会社は、KACツーリスト。テーマは「日本から一番近い国境を陸路で渡る旅!」だ。
だが、出発前、2004年4月22日午後0時15分に新義州からピョンヤンへ至る鉄道、平義線の龍川駅で爆発事故が発生した。ちょうど、金正日が中国訪問から帰国して、新義州から龍川駅を通過して数時間後に発生した爆発のため、テロ説も噂されていた。

はたして、旅行に出発できるのか? 出発直前に旅行社に電話で問い合わせてみた。「鉄道が再開されなかったら、バスでピョンヤンまでいきます」とのこと。「出発する」ということで、安堵した。前日、国際列車が新義州からピョンヤンまで走ったという情報があり、何とかなりそうな気配になった。





羽田⇒大連

羽田空港でビザ代金、7000円を旅行社に支払う。添乗員はKACツアーの社長と若者の2人だ。
羽田でのツアー客は7名程度、関空で7名、瀋陽でも何人か加わるとのこと。瀋陽組は日本―瀋陽間の航空券が取れないので、自力で瀋陽往復チケットを確保できれば、ツアー参加OKとのこと。ゴールデン・ウイークなので切符の確保が難しいらしい。



大連⇒瀋陽⇒丹東
大連で中国入国手続きをすます。
このあと、瀋陽まで飛び、瀋陽から、バスで丹東に向かった。
中国では、この日、連休の初日ということだった。瀋陽のほこりっぽい街をすぎると、丹東との間の鉄路に沿って延びる高速道路に乗る。バスの窓から見ると、鉄道の保線状況はいい。車にはほとんどで会わないまま、3時間で丹東に到着した。



丹東到着
宿泊したホテル、窓から鴨緑江が見えた。
丹東は鴨緑江を挟んで北朝鮮と対峙している。
北朝鮮とを結ぶ橋がテレビや新聞に映しだされるが、この川に架かる橋だ。ツアー客はホテルに荷物を置いたあと、鴨緑江を遊覧船で楽しんだ。



遊覧船で鴨緑江を行き、対岸の北朝鮮を見る!
対岸は北朝鮮の新義州。
船は北朝鮮側の岸まで近づいてゆく。北朝鮮の子どもたちが遊んでいて、手を振ってくれた。だが、北朝鮮に接近して間もないゆえに、写真を撮らずにぼおっつとしていた。

中国側と比べると寂しそうだ。都市という風情はなく、岸の先は公園や森が広がっていた。その向こうに、高い煙突が見えた。煙は出ていなかった。


下の写真は鴨緑江の遊覧船で、北朝鮮寄りから撮った丹東。
右側の橋は中国と北朝鮮を繋ぐ動脈となっている中朝友誼橋。
ここを通して物資が運ばれてゆくのだ。北京とピョンヤンを結ぶ国際列車もこの橋を通過する。金正日もこの橋を渡って中国を訪問したのだった。

食事まで自由時間となったので、街を歩いた。まず、丹東駅まで行く。駅舎には入れなかった。駅前から街をぶらぶらしながら鴨緑江の方角に戻った。

駅の近くの路地には、安い旅社が並んでいる。それに、いかがわしそうな匂いのする家々も並んでいた。けばけばしいペンキを塗った家もある。立っている男がじっとこちらを見ている。路地に入っていくと、生きて帰ってこられないのではないか。そんな危険な匂いのするところだ。

鴨緑江に近づくと、税関や人民政府の立派な建物が現れ、ほっとした。
埃っぽい街だ。街角の屋台では北朝鮮の切手帳や煙草などのグッズを販売していた。切手帳(写真下、右)は10元、130円だった。

ホテルの玄関で、北朝鮮との橋が目の前にある。

屋台売られていた北朝鮮グッズ

夜になると、丹東はネオンが煌々とまばゆいばかりの明るさだ。
向こう側の北朝鮮は真っ暗だ。川を挟んで対称的な姿の街だった。

夕食は魚料理だった。味は濃く、ちょっと口には合わなかった。
鴨緑江を見ながら食事ができるのだが、対岸の北朝鮮は漆黒の闇なのだ。ツアー会社の社長であり添乗員が、ここでは5000円あれば、とことん遊べますよ、とビールを飲みながら意気軒昂だ。確かに、温泉サウナみたいなマークが到る所にある。健康的なサウナに行ったツアー客によれば、着ていた服を脱ぐと、付人が丁寧に畳んでくれるそうだ。パンツまで。

夕食をとったレストランで。
丹東のパンフレット



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