周恩来が住んだアパルトマン |
|
中央の建物が周恩来が住んだアパルトマンの跡 |
メトロの「プラス・ディタリー駅」があるロータリーから「Rue Godfroy」通りを目指す。周囲は新築や改築した建物が並んでいる。ちょっと殺伐とした雰囲気だ。 17番地が周恩来が住んだという建物で、裏にその旨を記した銘板がかかっている。周恩来は1922年から1924年までこの地に住んでいた。ただ建物は当時のものではなく、建て替えられている。 周恩来は1898年生まれだから、24歳にしてパリを拠点にして活動をしていたことになる。この時、ケ小平は周恩来の部屋に出入りしていたらしい……。 ホテルのロビーに入って行くと、恰幅のよい従業員が、周恩来の銘板はこちらだと言って、裏に案内してくれた。 |
ホテルの建物にある銘板 |
〇印のところに銘板が貼ってある。 この通りはヴァンサン・オリオール大通りとなる。 |
レーニンが住んだアパルトマン |
|
この建物。壁には銘板が貼ってある。 |
メトロ4号線のポルト・ドルレアン駅とアレイジア駅の間にある。住所はポニエ街24番地。都心とは雰囲気が違って、場末感が漂う。古めかしいカフェに老人たちがたむろしている。小さな八百屋もある。近くに小学校があるのか、元気のよい声が聞こえてきた。 レーニンは1908年12月、妻とともにこのアパルトマンに住んだ。レーニンは4部屋を借り、半年間暮らした。 |
その銘板 |
通りの雰囲気。今では場末の感じだ。 |
レーニンが転居したアパルトマン |
|
レーニンはポニエ街24番地で半年間暮らした後、すぐ近くにあるマリーローズ街4番地に転居した。レーニン一家はここで3年近く生活することとなる。 以前よりも明るく、あか抜けたアパルトマンだ。 この地域はダンフェール・ロッシュリューやモンパルナスに歩いてゆける距離だ。彼はそちらに出かけていたらしい。 |
|
■ 西ヨーロッパ旅行記 目次 | |