パリ北駅 |
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パリ北駅 |
ホテルはポルト・ド・イヴリー駅の近くにしたので、 バスで2回乗り換えで北駅まで行きました。地下鉄の方が早かったのですが、やはり景色を見ながら走れるバスに軍配があがります。 パリ北駅を10時11分発。34番線。 サントゥーアン・ロモーヌ駅着、10時51分。 ここで乗り換えてシャポンヴァル駅に向かいます。サントゥーアン・ロモーヌ駅から待ち時間を入れて15分程で下車駅に到着しました。 |
シャポンヴァル駅に到着 |
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シャポンヴァル駅 |
サントゥーアン・ロモーヌ駅でオヴェール・シュル・オワーズ駅に行くフランス人の熟年カップルとプラットホームを探しました。 「いったいどちらのプラットホームに電車がくるのか?」 一段落して、シャポンヴァル駅で下車してオヴェール・シュル・オワーズ駅まで歩くと言うと、目を丸くしていました。 下車したのはひとり。誰もいない駅です。さて、どちらに歩き始めようか。観光案内所はない。駅員はいない。商店も閉まっています。 |
歩き始める! |
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奥は電車の線路 |
静かな道を歩く。太陽の光が強い! |
ゴッホが「オーヴェールの家」を描いた場所 |
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死んだように静かな街を約15分、歩いて、やっとゴッホが絵を描いた地点を探し当てました。絵は「オーヴェールの家」。 |
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セザンヌが「オーヴェール村の道」を描いた場所 |
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コローが「オーヴェール村の通り」を描いた場所 |
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透明な空気の咲くように、子どもが数人、自転車に乗ってやってきました。元気な声が響きます。 | |
ゴッホの医師、ガシュ医師の家 |
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ガシュ医師の家は上の写真の地点の近くでした。 休みがてら、医師の家を見学させてもらいました。 オヴェール・シュル・オワーズ駅までの中間地点になります。 |
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ガシュ医師の家 |
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庭に出て、汗を拭きます。 医師の家は小高い丘の中腹にありました。 ここからオヴェール城や橋を渡ると、人々の声が聞こえてきました。 オヴェール・シュル・オワーズです。来る時、電車の中で出会ったフランス人夫婦がいました。手を挙げて挨拶をかわします。 |
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ゴッホの下宿したラヴー亭 |
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ゴッホが下宿した家は現在、ラブー亭としてレストランになっています。左のメニューのとおり、いい値段です。 |
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ゴッホの下宿部屋 |
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こちらは隣室、友人の部屋 |
ゴッホは死の2か月前まで、大量の絵を描いたそうです。そして、自ら胸を撃ち抜き(諸説ありますが)、2日後にこの部屋で亡くなりました。 入場料金は1人、6ユーロです。 |
町にあった標識 |
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ゴッホ公園 |
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写真の中央の中国人らしき女性、蹲って動かない。 |
スーパーマーケットでサンドウイッチとジュースを買い、公園のベンチで昼食としました。この公園もゴッホ公園と改名したようです。 写真の左は観光案内所です。ここでゴッホが絵を描いた場所を示した日本語の地図をもらいました。 |
ゴッホが「オーヴェールの階段」を描いた場所 |
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左はラブー亭です。 |
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ゴッホが「オーヴェールの村役場」を描いた場所 |
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韓国人のグループ |
村役場 |
ゴッホが「ドービニーの庭」を描いた場所 |
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ゴッホが「オーヴェールの教会」を描いた場所 |
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駅舎を通り過ぎ、東に向かって歩きます。 教会が現れました。「オヴェールの教会」です。 |
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ゴッホが「カラスの舞う麦畑」を描いた場所 |
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教会から坂道をのぼってゆきます。「カラスの舞う麦畑」は絵の印象がそのまま感じられる場所でした。 | |
ゴッホの眠る墓地 |
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「カラスの舞う麦畑」の傍に墓地があります。 |
弟、テオも隣に眠っています。 |
オヴェール・シュル・オワーズの町に戻る! |
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オヴェール・シュル・オワーズの町に戻ろうと歩いていると、自転車を楽しむ一団に出会いました。楽しそうです。 | |
ゴッホが「オヴェールの橋」を描いた場所は発見できず! |
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「オヴェールの橋」を描いた地点は見つかりませんでした。 探しまくったのですが……。 |
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オヴェール・シュル・オワーズ駅からパリへ戻る! |
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オヴェール・シュル・オワーズ駅からパリ行きの電車は1時間に1本程度です。約40分でパリに着きます。 今回のオヴェール・シュル・オワーズへの散策は静かな道を歩け、気候もよく、楽しい散策となりました。できれば、今回の旅とは反対回り。オヴェール・シュル・オワーズ駅に出て、観光案内所で地図をもらい、シャポンヴァル駅に向かうのがいいでしょう。地図にゴッホが絵を描いた地点が載っているので歩きやすいはずです。 |
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