カンから到着 |
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モン・サン・ミッシェルの長距離バスターミナルに到着した。 観光客の多さに度肝をぬかれました。 |
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カン駅発 9:09 ポンタルソン着 11:12 ポンタルソンに到着すると、駅前にモン・サンミッシェル行きのバスが待っていた。 約20分でモン・サン・ミッシェルに到着した。 長距離バスターミナルは橋を渡って、島の入口にある。シャトルバスでホテルのある地域まで戻る。 |
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ホテルは「Le Saint Aubert」。1泊81ユーロ。 今回の旅行で最も高いホテルだったが、最も設備が整っていなかった。WiFiはあったが、机とパソコンのソケットの入口が離れていて、持参した予備のコードを初めて使うこととなった。 タオルがなかったので、フロントの鉄仮面のような女性と話したり、部屋の机と椅子の高さがちぐはぐだったり、いただけませんでした。 ホテルに行くシャトルバスに乗る前に、モン・サン・ミッシェルと人並に興奮して撮影した1枚です。 |
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島内、Grande Rueへ |
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すごい人波です。参道を押されながらゆっくりとのぼりました。ここかしこから日本語が聞こえてきます。我ら同胞は、きれいに着飾っています。 |
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看板 |
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展望 |
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遠望を見ながら休んでいると、スペイン人が数人やってきました。 「ここ空いてますよ」 そう言いながら、お尻をずらしてやりました。彼女たちはスペインのバスク地方からやって来たとのこと。もう一人はバルセロナからだそうです。 「暑くて……」 「それに観光客が多いですね」 しばらく風にふかれました。 |
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更に、上へ! |
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中国人のお爺さんと中年の男性が写真のような石段に腰を下ろし、ランチボックスを楽しんでいました。ワタシもそれに習って、ツナの入ったサンドイッチを買い(6.5ユーロ)、並んで食べました。 中国人は迷惑そうだったな。みすぼらしい日本人と一緒にされたくなかったのかもしれません。 |
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修道院へ |
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参道を歩いていると、日本人の母娘に「修道院はどこですか? まだ上にあるのですか?」と尋ねられました。関西弁でした。 その後、修道院へ入る切符売り場(9ユーロ)の列に並びました。これも長かった。 |
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回廊 |
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ぶらぶら館内を歩いていると、日本人の団体が押しのけるように歩いて行きます。皆、誠意をもってガイドの説明を聞いているのです。立派な態度です。でも、前を団体で横切って、ワタシを通さないのは何とかしてほしい。 やっと、静かになったら、また日本人の団体が押し寄せてきました。 |
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夕方 |
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夜 |
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夕方まで島の中を散策し、一度ホテルに戻りました。夕食後、午後11時に・サン・ミッシェルに出かけました。バスの中は日本人ばかりです。 「昨日は古城ホテルに宿泊し、今日はモン・サン・ミッシェル。明日はジベルニーを見て、ゴッホの墓に行くんですよ。パリに連泊です。そして成田へ……」 バスの中でこんな風に話してくれた男性もいました。 「いいなあ、古城ホテルですか」 素晴らしい旅行です。 シャトルバスでホテルに戻ったのは午前1時になってしまいました。 |
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翌日、早朝 |
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翌朝、6時半にモン・サン・ミッシェルへ。 今度はバスに乗らず、橋の手前から島をみました。 太陽がのぼってきます。ここも日本人ばかりで、前日、修道院への道を尋ねられた母娘がいました。 「昨日はお世話になりました」 こんな風に声をかけられました。昨日、ホテル近くのレストランでオムレツを食べたのですよ。美味しくなかったので、今日は島の中のオムレツ屋さんで食べますよ、と母娘。 「高いんでしょうね」 「49ユーロか50ユーロです。サラダとビールを飲むと、1万円でしょうね」 気絶してしまいました。 |
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朝日 |
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朝 |
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太陽が上り切ってしまうと、変哲もないモン・サン・ミッシェルになってしまいました。やはり、夜と早朝の景色がいいのかな。 実は、夕景を見るのを忘れてしまったのです。 ホテルで夕食を食べていまして……。 |
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