上海

福州路を歩く

外灘のビジネス街からラッフルズ広場の娼館跡まで

2011年12月30日



上海虹橋嘉庭酒店、婁山関路駅

ホテルの部屋
虹橋の上海虹橋嘉庭酒店(婁山関路駅)に移った。虹口の地下鉄駅から虹橋に向かうのに迷ってしまった。ホームでうろうろしていると、中国人の青年が教えてくれた。帰り際に「荷物に注意してください。上海にはいろいろな人がいますからね」とアドバイスしてくれた。

ホテルの料金はサービス、税金込で1泊4304円。今までで最も高い部屋だ。このホテルは日本からインターネットで予約した。地下鉄駅の上にホテルがあり、便利だ。



ワタミで昼食、パクソン百貨店
昼食は日本食にした。婁山関路駅に隣接するパクソン百貨店の5階にワタミが入っていた。

右の写真のお手拭を渡されたとき、ウエイトレスが何か言った。すかさず隣にいた、中国人女性が、「目を拭かないでください」と日本語に訳してくれた。

そのテーブルは日本人のダンナさん。1歳にならない赤ちゃん。日本人の義母だった。最初は、中国人の女性と話していた。とっても気立てのよい、綺麗な女性だ。義母は難しそうな人だが、彼女なら義母とうまくやっていけるんだろうと思いながら話をしていた。


デザートを食べるのは久しぶりだ。
ワタミの接客は素晴らしい。ちゃんと返事はするし、なによりも清潔なのがいい。

食事が終わると、待っている客もいなくなっていた。中国人のお嫁さんや日本人たちと話が弾み、楽しい時間だった。



スマロを探検し、南京路の雑踏に交じる。

ルートはバンドから西に向い、福州路を人民公園まで歩く。
そして逆に、南京路をバンドまで行き。夜の絶景を楽しむこととした。

往復たった4Km。半日かけての街歩きだ。



南京東路駅から外灘へバンドを福州路まで
南京東路を外灘に向って歩く。 地下鉄で南京東路駅に出た。
これから「夢のスマロか、ポンチューの街か……」と歌に歌われた、そのスマロ、今の福州路を歩き、上海の栄光の日々をなぞろうとしている。

外灘に向って歩く。人々は皆、同じ方向に向っている。久しぶりの外灘。和平飯店も新しくなって、拍子抜けだ。

外灘、いつもの素晴らしい景色だ。



外灘の中山東一路を福州路まで歩く
銀行、税関などの並ぶ外灘を歩く。ちょっと寒い。福州路は駅から出て、4番目の道路だ。おのぼりさんたちとぶらぶら歩く。九江路を過ぎ、福州路という道路標示を発見。



福州路に分け入る

旧香港上海銀行
福州路の入口にある上海浦東発展銀行は昔の香港上海銀行だ。頑丈そうな石造りの建築物の脇を歩く。中山東一路に面している通りは昔からのビジネス街なのか。


銀行の裏にはヨーロッパ風のレストラン、有名なライブハウスがある。観光用の和平飯店とは違って、本格的なジャズを聞かせる店らしい。

ドイツ風のレストランが現れる。旧ドイツ郵便局だ。
現在は天府伝説という名のレストラン

House of Blues & Jazz
テーブルチャージだけで600元以上の店



江西中路にそびえる旧メトロポール・ホテル

メトロポール・ホテル(現在は新城飯店)
江西中路に来ると、息を飲んでしまう。外灘を一歩入ると、奥は貧しい家が並んでいるのかと想像したが、威風堂々たる高層ビルが並んでいる。体をぐるぐる回して、列強が建築した建物をみた。壮観だ。

四つ角に、メトロポール・ホテル(現在は新城飯店)、ハミルトン・ハウス(福州大楼)、アメリカ総領事館(中国通商銀行大楼)、警察署がある。1930年代のアール・デコ建築の同じような建物が四つ角を囲んでいる。アメリカの領土みたいなところだったのか。

江西中路の偉容、奥は黄浦江




河南中路から見た旧メトロポール・ホテル
河南中路へ歩く。振り返ると、旧メトロポール・ホテルなどの堂々たる建築物が夕日を浴びている。アメリカン・クラブ(アメリカ商工会議所)、現在は高法大楼があり、は印刷局、中華書局などもある。お役所が集まっていた地域なのか。



河南中路から、山東中路、山西南路へ
福州路はビジネス街、お役所から本屋街、出版社街に趣を変える。民間の商店が並ぶ通りに変貌する。ただ、道路が狭い。



山東中路まで来る。急に道路は広くなり、人々の往来も多くなる。有名な食堂「杏花楼」は持ち帰りのお餅を求める人でごった返していた。

有名な食堂「杏花楼」



湖北路で一休み
四つ角にあった持帰り用の店を発見。たまらなくなって1個だが買い求める。立ったまま食べ、年末の雑踏を行く人々をみていた。



湖北路
湖北路からは、上海っ子のお洒落な食事と遊びを満たす通りになる。写真は上海料理の有名店「老正興」。そして、かつては歓楽街だったところに連なっていく。食堂は遠くから眺めるだけ。辛いなあ。

有名店「老正興」



雲南中路
ラッフルズ・スクエア 雲南中路までくる。昔、四つ角には芝居小屋があり、さらに魔都上海の象徴、「紅粉街」があった。上海最大の娼館が立ち並んでいたところ。娼館は30軒近くあったらしい。赤い提灯が美しかったのだろう。取り壊されたのは1951年。

現在はラッフルズ・スクエアとなり、若者向けの巨大商業施設に代わり、サムスンの電気製品の呼び込みをしていたりする。

一休みしようと数軒、コーヒーショップを探したが、空いているテーブルはない。


歓楽街の脇には教会
ラッフルズ・スクエアの隣には教会がひっそりとたたずんでいる。ここで福州路の散歩は終わり、南京東路の雑踏にむかって歩く。



南京東路

南京東路を歩く。
マクドナルドが空いていたので、コーヒーを注文する。この店は、飲み物は別のカウンターで注文するのだ。

コーヒーを飲んでいると、白人の男性が2人、立ってハンバーガーを食べていた。隣の中国人の二人連れがテーブルを4人分使っていたので、あけさせる。
「ここに腰を下ろしなさい」
青年に声をかける。
彼らはノルエーから来て、働いているとのことだ。ノルエーのベルゲン、スタバンケル、トロムソ、スヴァールバル諸島に行ったことがあるよと話す。

楽しそうな上海っ子、観光客も踊っていた。
マクドナルドのトイレは3階にあった。用をすませて上階を見上げると、テープで通行を遮断してある。10階以上の建物だが、テナントがいないらしい。ガランドウなのだ。中国の建物はガランドウが多い。北京の故宮、チベットのポタラ宮など。



ノルエー人とは、南京東路のユニクロでも会った。また、会ったね。彼らは薄着でいるので、暖かい服を買うんだと言っていた。

散歩を続ける。上海の人は幸せそうだ。ダンスをしたり。グルメを楽しんだり。それなりの楽しさを味わっている。

もう夜になった。

中国人はポーズが上手い。



外灘へ戻る
もう一度、外灘に戻った。
風が出てきて寒い。煙草を吸う人が多いので、煙に閉口する。



吉野家で夕食

オー、カレーだ。
吉野家は繁盛していた。
注文して席を探したのがなかなか見つからなかった。カツカレーが22元、牛肉メシが16元。




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