南京

助けてくれた人たちに再会
中華門、路地メシ

2011年12月27、28日




2011年12月27日


中華門
父子廟から中華門までは歩いた。
途中、何度道を尋ねたことか。アーケードのある歩道、そこには並木がある。春になると、歩くのにいいのだろうな。

中華門は閑散としていた。白人の2人組がいただけ。周囲を見て、バスで中華路の地下鉄駅に出た。



夕食、薩摩ラーメン
夕食はホテルの前にあるラーメン屋に入った。カツ丼を注文する。日本のラーメン屋が流行しているのだろうか。テーブルはほとんど埋まっていた。

カツ丼を注文

テーブルに置いてあった紙

薩摩ラーメン
食事の後は、85℃というパン屋でコーヒー。
テーブルが3個あるだけの店だ。ゆっくりしていると、日本人女性が5人、ガイドの男性と入ってきた。大きな声で騒ぎながら、パンを選んでいた。
「これで明日の朝食にする」
買物を終えると、ワタシを見て、汚いものでも見たように顔を背けて行ってしまった。


2011年12月27日


朝ごはん

竈にくっつけてパンを焼く
ホテルの裏にある路地を歩く。
南京で2泊。朝食はこの路地で食べようと決めた。昔からあるような店構え、普通の人々の暮らしに少しでも触れてみたい。
パンをこね、竈に張りつけるところを写真に撮らせてもらった。小さな店は一様に夫婦で経営している。皆、働き者だ。写真を撮ったら、無性に四角いパンを食べたくなってしまい、紙に包んでもらった。1.5元だった。





また豆汁

豆汁の持ち帰り用、パン
朝食は豆汁を飲みたくて、昨日訪れた店に入った。昨日、砂糖を入れてもらったので、今日は砂糖抜きで飲んでみた。それに揚げパン。甘くなくて、すっきりする。一杯を持ち帰り用にした。これで2.5元だった。



パトカーに乗った場所を探しに!

上の○印はパトカーの乗ったところ。
下の緑の印はいい雰囲気の路地があったところ。
今日は、是非とも行きたいところがある。
2日前、南京で道に迷ったとき、タクシーを探してくれたり、パトカーを止めてくれた人たちにお礼を言いたかった。

手がかりは、地下鉄の高架線が脇を走っていた。パトカーでしばらく走ると、川を渡り、中華門近くを走ったということだ。

多分地下鉄1号線だろうと思い、高架になると窓から景色を注視した。すると見覚えのある小学校があるじゃないか。
「中華門」という駅で下車し、駅前に出た。タクシーに乗車拒否されたところや白タクがいたところをすぎる。

中華門駅のプラットホーム

ごちゃごちゃした地域を過ぎて、見覚えのあるところにやってきた。タクシーを止めるのに、商売をほっぽりなげて動いてくれたおじさんが蟹を売っていた。

「ありがとうございました」
と日本語で言う。道の反対側では別の助けてくれた人たちが店にいた。言葉は通じないが、感謝の気持ちは通じたみたいだ。抱き合ってしまった。

途中、いい路地を見つけた。

助けてくれた人の売場

2日前、ここでタクシーを探した。

気持ちとして、途中で買ってきた品物を渡す。
「受け取れねえよ。困った人を助けないなんて、南京っ子の恥だい」
多分、そんなことを言っているのだろう。いらないと言うのだ。
「こっちだって、一度出したものを持って帰れない。持って帰ったなんぞ、友達に知れたら、盗人だと言われてしまう」
そんな気持ちを表す。
「これから上海に行きます。ありがとうございました」
日本語で話す。いい人たちばかりで、涙が出てきてしまった。温和で、朴訥。曲がったことが嫌いで弱いものに、めっぽう優しい人々。助かったな。いい思い出だ。



方家巷

中華門駅に戻る途中、路地を発見


肉が吊り下げてある。


いいでしょ、この路地



小龍包の店を発見
路地の入口にこの店を発見した。
朝食は済ませていたので、一度は通り過ぎたのだが……立ち上る湯気、いい匂い、食事をしている人たちの表情に負けてしまった。

「どこでも腰を下ろしな」
そんな風に言われたようだ。
「一籠8個入って4.5元だよ」
「はい」
店の中で料理している。その脇にテーブルがある。しばらく待っていると、やってきました。熱々です。

お客さんの食べ方をみていると、醤油をつけないみたい。でもワタシには、醤油があったほうが美味しさが増す。

火傷しそうな肉汁がでてくる。熱い、おっとっと。フーフー。朝食は済んだのに、全部、食べてしまった。いい味だなあ。改めて4.5元の料金を思う。東京の浜松町にある新亜飯店、100元だものなあ。

湯気が出ている。

熱くて、熱くて!
豆汁を店の人がもってきてくれる。
常連はセルフサービスで飲んでいた。汁があっさりとしていて、ちょっと油っぽくなった胃をなだめてくれる。




■ 東アジア旅行記 目次
inserted by FC2 system