木浦 旧日本領事館、旧東洋拓殖株式会社木浦支店、 木浦共生園 2011年2月6、7日 |
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全州から木浦へ |
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バスで木浦へ。11400W(1000円弱) |
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木浦バスターミナル到着 |
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全州から木浦バスターミナルからは2時間15分だった。木浦バスターミナルからタクシーで木浦駅まで行った。 地球の歩き方では「i インフォメーション」が駅の外にあるように記されているが、駅構内にあった。そこで情報を仕入れ、地図をもらい、格安ホテルを紹介してもらった。 |
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駅から歩いて5分くらい南に行ったところにあるKTモーテル。25000ウオン(2000円)だった。暖房もシャワーもついていて、過不足はなかった。 ただ、夜、モーテルに戻るとき、道路の脇に女性が立っていて微笑んだり、おいでおいでをするのが気になった。 |
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木浦駅前で昼食 |
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前日、夕食はビビンバにした。その油がまだ体に残っていて食欲が湧かない。軽くすませるつもりでパンで昼食とした。ソウルにもこの店はありました。 今日のガイドブックは鄭銀淑著「韓国の『昭和』を歩く」。役立ちます。 |
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バスに乗って! |
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木浦駅の「インフォメーション」でゲットした地図。 |
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木浦共生園 |
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駅前のバス停で路線の見当をつけて乗車。1100W。運転手に共生園というハングルを見せて、そこでおろしてもらうことにした。 乗客は客船ターミナルをすぎるといなくなってしまった。ひとりだけでしばらく乗車したのだった。 |
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共生園は韓国人と結婚した日本人女性、田内千鶴子さんが孤児を引き取って育てたところ。一度、見ておきたかった。 園への坂を登っていくと、野鳥のさえずりが鮮やかに聞こえてきた。遠くから子供たちの歓声もあがっている。しばらく立ち止まって、耳に注意を集中させたのだった。 田内さんの人生は壮絶なものだったのだろう。夫は孤児の食糧を得るために光州に行ったまま行方不明。そのあとの彼女の人生を想像する。ワタシとは対極にある立派なひとなのだな。 |
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また、バスに乗って! |
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市内に戻り、バス停で方向を尋ね歩き出す。国道1、2号線起点という標識が見えてきた。旧日本領事館は近くにあるはずだ。 坂を登っていく。 旧領事館の石段に老人たちが5人、日向ぼっこをしていた。 「こんにちは」 挨拶して、ワタシも石段に腰をおろす。 すると、会話が始まった。 日本語を流暢に話す老人は82歳だという。大阪近くの松原市に子供がいて、年に1度は関空から松原にいくのだとも。 |
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旧日本領事館 |
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領事館は高台にあって、その下には日本人が住んでいたらしい。今ではすっかり様変わりしているのだろう。 「あのマークは旭日ですか?」 老人に尋ねる。 「いや、最初はロシアの領事館だったのだよ。違うよ」 なんだかほっとするのだ。 |
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建物の裏手に防空壕が3個あった。 カビ臭い空気が流れてくる。それが妙に生々しく、臨場感がある。 |
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日本家屋 |
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旧東洋拓殖株式会社木浦支店 |
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旧総領事館から坂を下り、街を気ままに歩く。前日訪ねた全州は米の集積地、木浦は綿花の集積地だったところらしい。現在は歴史館となっている旧東洋拓殖の建物にも旧朝鮮総督の碑が残っていた。 木浦Aに続きます。 |
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参考:新聞記事 |
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