瀋陽から丹東へ |
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瀋陽駅の待合室 |
瀋陽から丹東までは列車に乗った。 窓から見える建物はここ数十年補修されたことがないようなみすぼらしいものだ。瀋陽をでて、発展に取り残されたような風景が現れた。 硬座席だ。禁煙となっているが、連結部でタバコを吸う客が多い。ドアを開けっ放しなので煙が流れてくる。猛烈な量である。 ドアを閉めにいく。重たいドアだ。力を入れて閉める。人が通ると、ドアをあけたまま行ってしまう。タバコの煙が猛烈な勢いで流れてくる。また、閉めに行く。 |
丹東到着。硬座車両。 |
中国人は何でドアを閉めるのか。何でタバコの煙を嫌がるのかわからいようだ。何度もドアを閉めにいく私をぼんやりと見ている。 そのうちに、タバコの煙にやられ、気持ちが悪くなってきた。ハンカチを口に当てて煙を避ける。ああ、この喫煙列車で3時間半か。まだ、発車したばかり。 |
瀋陽・丹東間は42元、630円だ。 |
どうして中国人は煙に強いのだろう。でも、平均寿命は中国人のほうが短い。漢方薬をいくら飲んでも、ニコチンにやられてしまうのだろうな。漢方薬よりも、いい空気だ。 こんなときには居眠りしてしまうに限る。口を覆ったまま、眠ってしまった。 |
丹東駅のホーム。 |
列車は3時間ほど進んだところで動かなくなってしまった。30分近く駅で停車したままだ。人々は気にもせず静かにしている。列車が遅れるというのはいつもあることなのだろう。やっと、丹東に到着したのは、1時間遅れていた。 |
丹東駅前 |
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見覚えのあるのは毛沢東の像だけ。駅舎も駅前もすっかり変わり、再開発されていた。田舎町だったとの印象を変えなければならない。 ホテルなどの客引きがうるさくつきまとう。タクシーにも乗らず、逃げるように歩く。それでも追ってくる。逃げる。 |
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丹東の街 |
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並木だけは記憶に残っている。 |
高層建築物の並ぶ市内。 |
丹東の裏通り |
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夜の中朝友誼橋 |
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夜、中朝友誼橋を見物に鴨緑江まで歩く。9月下旬だが、寒い。襟を合わせて、人通りのすくない街を行く。 朝鮮族の人が板の上に金日成バッジやタバコ、切手帖を乗せて売っていた記憶があるが、その姿はない。安かったら買おうと思っていたのに。 |
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京冠春餅店、五経路 |
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美味しそうなレストランを探して、丹東の夜を歩いた。一軒ごとに客層、清潔度、混み具合をみながら歩いていく。やたら美容院が多い。 かれこれ1時間すぎた。まだ、安くて美味しそうなレストランは見つからない。ギブアップしそうになったところで1軒、発見した。 餅である。中国ではパイやお焼きの感じである。これが食べたかったのだ。そのうえ、清潔そうで、若者が多い。これはいけるかも。 |
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餅に具を挟みます。 |
入って、メニューを見たが、さっぱり分からない。近くのテーブルのひとに英語が話せるか聞いてみた。話せないと身振りで示す客ばかりだ。ほとほと困り果てた。注文をとるお嬢さんもお手上げのよう。お互いに両手を広げ、トホホ。 メニュ−を睨んでいると、若者が決心したようにやってきた。大連で日本語を学んだという。丹東に実家があり、IT関係の会社に勤務しているとのこと。 注文は、かなり難しかった。餅の皮を何枚、餅に挟む具を、それにタレ注文するのだと言う。 |
包みます。 |
若い中国人に教わりながら注文した。 さて、食事だ。素手でパイ皮を取り、肉を挟む。野菜も。次に注文したタレをかける。きゅっと丸めて、口に運ぶ。香ばしい匂いが鼻をつく。 涎がでてくる。ぐさっとかぶりつく。ああ、時間をかけてレストランを選んでよかった。至福の時間だ。 「緑豆粥」か「緑豆汁」はありますかとメモ紙に書いて、店員に見せる。多分、餅に合うと思ったからだ。だが、ないそうだ。 |
注文したのは、餅、肉、野菜、ビール、お茶などでした。これで予定の50元で収まった。中国の人々は親切で優しいし、食事は安い。ますます好きになった。 | |
KFC、六経路 |
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ホテルの前で遅い昼食をすませた。 やはり、中国餅に似た料理を頼んでみた。タレが絶品だった。 |
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丹東から瀋陽へ |
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瀋陽に帰るバスの切符を求めにターミナルに行く。列に並ぶ。長い時間がかかる。横入りするひとが多い。 並んでいる人は黙っている。どんな理由があるのだろうか。わたしの番になった。行先を告げているうちに、横から割り込んでカネを窓口に出す。その手を払いのけて、俺の番だよと日本語で怒鳴る。 そのあと、怒鳴ったわたしは悪いことをしたような気持ちになってしまった。わたしってヘンかな。 |
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