撫順

 戦犯管理所
  
 2010年9月29日




撫順駅前
瀋陽の駅前に出るのに、ホテルの近くの停留所からバスに乗った。ちょうど通勤時間帯で満員だった。無理にタラップに乗る。しばらくすると、席に腰をかけなさいと若い女性から言われた。席を譲られてしまった。

車内はほのかに茹でたトウモロコシや餅の匂いがしている。朝食用なのだろうか。



撫順へは、瀋陽駅前からバスに乗った。バスの行き先を確認して、車掌さんに10元(150元)支払う。

内部は観光バスのようで、乗り心地がよさげだ。1時間で到着するのだと言う。
撫順駅前で降りるとタクシーの客引きが寄ってきた。戦犯管理所までの料金をたずねると、最初は30元だった。高いと言うと、20元にまでまけた。それが限度だった。

通りに出て、メーターを確認してタクシーに乗る。支払った金額は1桁だった。だいぶ吹っかけたんだな。



所内は閑散としていた。
案内の女性はご勝手に、そんな感じで切符をもぎるとどこかに消えてしまった。

ここはラストエンペラーの収容されていた戦犯管理所である。

管理所の所長の部屋



管理棟にラストエンペラーとその奥さんの部屋があった。どいいうことなのかと首をひねってしまう。管理する人間と管理される人間の部屋が隣り合っているのである。そうか。それまで皇帝だった人物は収容所でも特別待遇されていたのか。間違っているかもしれないが……。

だって、「脱北、逃避行」野口孝之著を読むと、現在でも、賄賂を受け取った共産党幹部は、刑務所に入っているのは形だけで、別棟で自由な生活をしていると記してあったのを思い出したからだ。

ラストエンペラーの部屋には、ベッド、湯のみ、魔法瓶が揃っている。






展示室には日本人戦犯の経歴、行状を記したプレート(中国語、英語、日本語)がいくつも並んでいる。

展示物を読んでいくと、彼らは中国人の心広さと、厚い待遇と豊かな食事に感動し、過去を反省するようになったと記してある。

天国のように書かれているこの収容所。現在の中国は決して清潔ではないし、肉類だって食べたこともないひとが半分はいるのだろう。それなのに、何十年も前の収容所は清潔で、食糧も十分でいい生活をしていたのだろうか。
きわめつきは、収容されていた日本人が帰国してから描いたという絵である。反省した日本人は中国人の前に膝まづいて許しを請う。

そして一枚の大きな写真にも目が釘付けになった。周恩来が大きなソファにだらしなく腰をおろしている。脇のソファにはラストエンペラーが背を正して腰をおろしている。

勝者と敗者の関係を見事に描いた絵と写真である。心の広い中国人のすることではない。次第に、不快感が染み渡っていく。




洗面所

床屋

風呂場



一般の収容棟にもラストエンペラーの部屋があった。弟たちと一緒に収容されていたらしい。壁に写真が貼られていた。




溥儀なのだろうか。




管理所の回りはアパートだ。

管理所の講堂。毛沢東の大きな写真がある。



■ 東アジア旅行記 目次
inserted by FC2 system