瀋陽

瀋陽駅、西塔、中山路
 
            
2010年9月25日



長春から瀋陽
長春駅からは新幹線に乗車。
前の座席は何かの偉い人らしく、車掌がお茶を運んで世話を焼いている。日本でも車掌がお茶を出したりするのだろうか。

車両では、拳銃を腰に下げたひとがひっきりなしに廊下を歩いている。お偉いさんと同乗するのもいいものだ。おかげで安心して乗車できた。

瀋陽北駅で、タバコ吸いは停車時間を利用して喫煙

瀋陽北駅にて



成都行き列車


瀋陽北駅。向こう側のホームでは列車から降りた人々でいっぱいだった。長い列が途切れない。

ホームの反対側には成都行き列車が到着していた。食堂車もある。きちんとたっている従業員。すごい! 中国は変わりつつあるのだ。



端心東方酒店、瀋陽北駅脇
ホテルは駅のそば。
部屋から瀋陽北駅広場を覗いてみた。自動車と車の群だ。

このホテルではトラブルが続いた。
洗面で水を使ったら流れない。どうしたのだろう。フロントに電話して直してもらった。今度はシャワーを浴び、タオルを使った。そのタオルはしっかりと畳んであるのだが、顔をふくとニコチンの臭いがずしっときた。おまけに濡れている。多分、タオルを代えないで、畳んで置いたのだろう。また、フロントに電話して代えてもらった。

次は、床にひまわりの種の食い散らかしが散逸している。電話しようとしたが、まあ、いいかと、我慢してしまった。翌朝、紙に、「部屋に掃除機をかけてください」と書いてフロントに渡す。受け取った若い女性は、悔しそうな顔をしていた。

だが、夕方、観光から戻っても床の「種」はそのままだった。念のため、種は一粒ではありません。たくさんです。
チェックアウトするときに、掃除機を持って女性がやってきたからいいか。次の客はきれいな部屋に宿泊できるもの。

まだある。
寝ていると、「アンマー」と女性の声で電話がかかってきた。「不要」と言って切る。しばらく寝たところで、また、「アンマー」である。これが4回あった。もう、睡眠不足だ。

長距離バスを待つ人々




ローズ・ホテル、中街


とうとう中街にあるローズ・ホテルに移った。
ここは繁華街の中にあり、観光地の故宮、張氏師府にも歩いていける。目の前に老辺餃子店があり、便利なホテルだ。


部屋からは故宮が一望でき、気分がよい。素晴らしいホテルである。




中街

歩行者天国になっている。

ユニクロもある。



瀋陽駅

茶色の建物が瀋陽駅

満鉄時代のマンホール
関口知宏が瀋陽駅前から生中継したときは、駅前は何もなくだだっ広かった。この日は人民と自動車で溢れている。

わたしはいつも俯いてあるくのだが、いいこともある。満鉄時代のマンホールを見つけた。このマンホールはいくつも見られた。このマンホールを「半島の歌姫」と絶賛された「崔承喜」さんも踏んだのかと思うと、ぞくぞくしてくる。



中山路
中山路は日本の時代の建物が並んでいる通りである。駅前からまっすぐ伸びた通りを歩いていく。人々が多く、うまく歩けないので、ノスタルジアに浸る雰囲気もない。

通り1本入ったところでは開発が行われている。中山路も新しくなってしまうのだろうな。この近くには「伊勢丹」もあり、撫順行きのバス、市内バスが発着している。便利なところである。



西塔

            朝日新聞
瀋陽駅と瀋陽北駅の間にある西塔へはバスに乗った。もちろん、並んでいても、バスが到着すると人々は入口に殺到する。それでも席を取れたのは、かなり中国に慣れてきたせいだろう。

近くに立っている若い女性に、西塔に到着したら教えてくれるように頼んだ。これで、安心して乗っていける。女性は大学生だという。
「英語、上手いね」と言うと、「少しです」と言ってはにかんだ。
「あなた、ハンサムでかっこいいですね」
お世辞も言ってくれる。バスの中の中国人が聞き耳をたてている。でも、うれしくなって握手してしまった。
ピョンヤン・レストランがある。1軒ではない。次から次へと現れる。覗きこむと、北朝鮮の国旗の色合いのチマチョゴリを着て化粧した少女が手招く。入らない。そんな仕草をすると、膨れた顔をする。その変化があからさまなのだ。

長春のピョンヤン・レストラン、仁風閣では嫌な気持ちになったので、ここでピョンヤン・レストランには入るつもりはなかった。

中年の男性が店に入っていく。女性はあからさまに笑顔になり、男性をむかえるのだ。そんな姿をみていると、年端も行かない娘に……と哀れみを感じてしまう。多分、彼女たちの取り分はほんの少しなのだろう。

ロッテリアも。



文化大革命ショー
1年前に朝日新聞に掲載されていた記事に、「文革ショー」があるのだと知り、気になっていた。それで、瀋陽に到着した日の夜、行ってみた。

事前に日系旅行会社まで行って、住所を確認しタクシーに乗ったのだ。だが、見つからない。そのあたりの通りを上がったり、下がったりした。タクシーのメーターはどんどん上がっていく。ついでにわたしの血も頭にのぼっていく。

とうとうタクシーの運転手はここで下車しろ、このあたりだ、と言う。まず、超市で尋ねてみた。向うだといわれる。そっちに行っても発見できない。そこでいいことを考えた。知的レベルの高い人にきけばいい。薬屋に入って尋ねたのである。

「文革ショー」レストランはすでに廃業したとのこと。ここにあったのだよ。女性がいっしょに案内してくれた。中国は変化が激しい。1年前の店がもうないのだ。

日系旅行代理店が住所を記してくれたメモ



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