長春 

満洲国皇帝仮御所跡、
満洲国政府機関跡
 

2010年9月23日





満洲国皇帝仮御所跡
朝、ホテル(長春駅前)からタクシーに乗ると、6元で偽満皇宮博物院に到着した。知らない都市でタクシーに乗ると、いつも不安になってしまう。わざわざ遠くを通るのではないか。下車するときに、言いがかりをつけられるのではないかと。

だから、ホテルの従業員におおよその料金を尋ねてからタクシーを捕まえた。従業員の言った料金と同じだった。



緝煕楼
入口を入っていくと、江沢民の「9.18を忘れるな」との大きな字が彫ってある。中国は、公共の場所に、江沢民の書が飾ってあるのだ。

建国の英雄、毛沢東の像は今や、地方都市の駅前位にしかないのに、江沢民の書が溢れている。ちょっとしらけた思いで館内を歩く。中国人がグループで勝手気ままに歩いている。




溥儀と吉岡安直
溥儀(白い服)の執務室。と日本の軍人との会見模様を表した人形が置いてある。日本人の軍靴はとても大きい。

両者の力関係を一瞬のうちに見て分かるように人形を作ったのか。ふんぞり返った日本軍人の姿が誇張されているようにも思える。

わたしが見ている脇を中国の人たちがぶつかりながら見ては、直ぐに次の部屋に行く。
皇妃、譚玉齢がアヘンを吸引している人形も置かれている。アヘンを渡しているのは、彼女の愛人といわれている人物みたいだ。



勤民楼
ここには関東軍参謀、吉岡安直の部屋もあるというので念入りにみた。質素な部屋である。

しばらく行くと、中曽根康弘氏が訪問したときの写真が掲出されていた。日本人の写真は氏だけのようだった。ほかには、タイの王女、外国の著名な人物の写真が飾ってあった。
この仮御所跡には、宗教的な仏像などが極めて少ない。本当に、溥儀がここに住み始めたころからなかったのだろうか。北京にある故宮の内部が殆んど何もないのと同じなのである。高価な仏像などはどこに行ってしまったのだろうか。

芸術性の高いものなどは、散逸してしまったのだろうか。ただ、人形を置いて取り繕っているような保存の仕方に、首をかしげてしまう。




同徳殿
この建物の脇にはプールがあり、地下防空壕があった。中に入りながら、ハノイでみたホーチミン氏の邸宅の脇にも防空壕があったことを思い出していた。こちらの方がきっちりと建設してありそうだ。


出口に向かうと、仮御所跡は高台にあるのが分かる。周囲は低所得者用の低層アパートに囲まれている。






満洲国政府機関跡
偽満皇宮博物院を見た後、食事をして、満州国の政府機関跡をみたくてバスに乗った。昨日、夕方、到着したばかりだが、中国人に道を尋ねたり、地図をみて、どうにか歩けるようになった。

日本統治時代の地図を見ると、長春駅からまっすぐに道路があるのだが、官庁街の新民大街は大同広場から駅を背にして右に入らなくてはならない。

新都市を設計するときに、なぜ一直線に政府機関を置かなかったのかな、と思ってしまう。古い地図をみているうちに、そうか、新御所の下に政府機関を置こうとしたのか。謎が解けてきた。
右は地質宮。ここに御所を置こうとしたのかもしれない。そう思いながら、80年前の当時の新京の街をイメージしようとする。

今のように、新京の街は青空で、凧があがっていたのだろうか。トウモロコシ売屋が路地にでていたのだろうか。



だだっ広い道路の真ん中は散歩道になっている。だが、両側の松の枝はの伸び放題である。官庁街を散歩するひとなどいない。ぶらぶら満州国の政府機関をみて歩く。建物ひとつひとつ点検するように見ていく。

陽射しが強い。中国で空が青いと感じることのできる季節だ。汗がでてくる。
これらの建物は現在、病院になったり、中国の政府機関として使用されている。したがって、中に入ることはできないのだ。現在も使われている建物だが、廃墟のような印象を受ける。道路の脇に植えられている木々が手入れされていないからだろう。



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