ハルビン

日本統治時代の建築物

2010年9月20日

これまでハルビン市内、駅と松花江を歩いた。
今度は駅の南側、市内の日本統治地代の建物、ロシア時代の建物を探した。

駅前をハルビンの中心、紅軍路を紅博広場まで歩き、そこから左に大通りに入った。ウクライナ寺院や教会を目指したのだが、なかなか発見できない。インテリそうな人に尋ねながら目的地まで行った。

日本のガイドブックを見ながら歩いたので、あまり当てにはできないのだ。歩き疲れると、KFCでコーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりして休んだ。この店は収入の多そうな人が出入りしているので、注文する際は横はいりがないので精神的にラクである。






紅軍路から紅博広場まで
駅前の大通り、紅軍路の標識を見つける。左側には旧ヤマトホテルがあるので、地下道を抜けて反対側に出る。

地下道には小さな屋台が出ている。電灯もなく真っ暗な中を人々が屋台を避けながら歩いていく。わたしも足を小刻みにくりだしながら歩く。躓いて倒れたら、将棋倒しになってしまうだろう。怖い!


ホテルを見た後、また右側に戻る。こちら側のほうがクラシックな建物が並んでいる。ハルビンっ子が靴の足音高く職場に向かっていく。
すぐに古い建築物に出会う。その脇を、お洒落な若者が歩いていく。

隣にはやはりお洒落な果物屋さんがある。半地下の店だ。美しく並べられているので、しばし見とれてしまう。ここを過ぎると、華僑飯店である。

華僑飯店



紅博広場から東大直街を行く
紅博広場の脇に洋風建築があった。どうもイタリア領事館跡らしい。薄い黄色の建築物が鮮やかだ。

その隣にも洋風建築があった。このいわれを何人にも尋ねたが、知らなかった。近くに警官がいたので聞いてみたが、分からないようだった。

紅博広場ではやはり地下道を渡らなくてはならない。地下には商店がぎっしりと詰まっていて、どうやって向こう側にいけばよいのか分からなくなってしまう。



この建物も洋風だが……。



東大直街をどこまでも
ウクライナ寺院を目指して歩いた。
中国人に尋ねても、知らないと言われるし、ほとほと困った。とうとう省委員会の立派な建物があったので、そこに行って聞いてみた。公務員ならば分かるだろう。直ぐ近くだと言う。

周囲は工事中だった。ウクライナ寺院は工事の囲いで覆われていた。裏手から寺院に出て、100年間のハルビンの移り変わりを黙ってみてきた寺院をしのんだ。
ウクライナ寺院の裏道を歩いていると、子供が母親に手を引かれて門の中に入っていった。幸せそうなひとときである。母親の服装はパジャマのよう。にやっと、微笑んでしまう。



西大直街を歩く

紅博広場
紅博広場に戻った。バス乗場にもなっているので、人で溢れている。バスを諦め、西大直街を陸橋に向かって歩く。この通りは日本統治時代の建物がいくつかあるらしい。鉄道クラブの建物などである。

地図にしっかりと印をつけて歩いていく。だが、建物のあるべき場所にないのだ。歩いていくうちに、それらしき建物を発見した。


ガイドブックと旅行記を持って歩くのだが、それぞれ鉄道クラブの建物の写真が異なっている。どちらが正しいのだろう。

かっての鉄道クラブらしい

それでは、この建物は何だ?
ある旅行記では、上の2枚の写真も「鉄道クラブ」と記してある。現在は少年宮という赤い看板が出ていた。

西大直街をはさんで反対側は、鉄道職員の社宅があった地域らしい。ハルビン工業大学の隣である。だが、そこは再開発が行われつつあった。すぐにでも社宅は取り壊されてしまうのだろう。



旧東清鉄道職員社宅を探す

狗肉レストランを発見!
左と下の計4枚の写真は旧東清鉄道の社宅に間違いはないだろう。ほとんど壊滅状態である。殆んど、スラム街である。道には下水が垂れ流しになっていて、臭いのだ。

歩いていると、侘しくなってきた。わたしはどうしてスラム街に足を踏み入れてしまうのだろう。せっかく飛行機に乗って外国に来たのだから、美しい建物を見てよい思い出を持って帰ればよいのに。



トウモロコシ売り

もちもちして美味しい。

いい匂いがする。1本1.5元だった。



旧ヤマトホテル
ヤマトホテルには2度訪れた。
ここにいると日本人観光客が入れ替わりやってくる。ガイドを連れ、コートを着たご夫婦。厚化粧のご婦人。ゆうゆうと歩いている。

右の写真はヤマトホテルのある反対側の道路。長距離バスのターミナルになっているので、ごちゃごちゃしている。

旧ヤマトホテル内部

旧ヤマトホテル外観



東北烈士記念館まで
別の日に、ハルビン駅前から東北に歩いてみた。東北烈士記念館までは医科大学の脇を通る。この通りも、スラム街のようになっていて、早足で通り抜けた。

あとで地図を見ると、線路をはさんで中央大街なのだ。するとこのあたりは中国人が住んでいた地域なのだろう。
花園街を歩き、紅軍路まで戻る。突然、こんな立派な家が現れる。下の写真もいかにもロシア風の建築物である。

ハルビン市内を3日間に渡って気ままに歩いた。
リッチなハルビン、貧しいハルビン。その両極端な街が隣り合っている。エキサイティングな街だ。一日の歩数は3万歩程度であった。




■ 東アジア旅行記 目次
inserted by FC2 system