ハルビン

中央大街、浜州鉄路大橋

2010年9月20日




中央大街、旧キタイスカヤ
中央大街には2度出かけた。
だが、2度ともうまく行けなかった。最初は駅前からバスに乗った。どうもバスは中央大街とは反対のほうに行ってしまう。不安を押し殺して乗っていたのだが、人家が少なくなってきたので、下りた。そこからタクシーを捕まえて、ハルビン市内をぐるりと回って到着したのだった。

2度目もバスに乗ったのだが、中央大街という停留所はないので、近くの停留所で下りることとした。この時も、いくつか手前の停留所で下りてしまった。

どうやらそこは昔からの中国人の居住区近くだったらしい。遊廓街、アヘン窟があった「大観園」の外れのような気がするのだ。すると、ここはかって満州最大の魔窟だったところの外れなのか? 

停留所で次のバスを待つ。やってくるバスは超満員ばかり。待っている娘さん(あとで聞くと15歳の学生とのこと)はバスで中央大街までいくから一緒に行きましょう、と言ってくれた。その娘さんとバスに乗り、いくつか先の停留所で下り、少し歩いて中央大街まで行ったのだった。とても健康的な清潔そうなお嬢さんだった。

旧秋林洋行か?



日本統治時代、キタイスカヤの石畳は松花江まで続いていたらしい。現在は、松花江に向かって歩いていくと、地下道をくぐって松花江にでるようになっている。

また石畳の道路は車も走れたのだが、現在は歩行者天国となっている。ヨーロッパならば、カフェ・テラスでもありそうな石畳だが、中国人が連れ立って歩いている。

モデルンホテル
帰りは、松花江とは反対側、ホリデーインのある広場からバスに乗って帰った。そこではホテル方面行きのバスがなかなかやってこない。

夜、ハルビンは寒くなってくる。タクシーを呼び止めるが、乗車拒否ばかりだ。やっと、ミニバスがやってきて戻れたのだった。



ソフィスカヤ寺院
夕方、ソフィスカヤ寺院の回りを歩いていると、小型バスが停まり、中から中年の日本人女性が数人下りてきた。

物売りが近寄ってくる。「不要」と中国語で言いながら、写真を撮ってバスに戻った。その間、1分程度か。他の旅行者はバスの中で疲れたような表情で寺院を見ていた。

わたしを日本人と見たのか、「水木しげるの故郷から来ましたのよ。今度、旅行してくださいね」と言い残し、あっという間に去ってしまった。



浜州鉄路大橋
中央大街から松花江に沿って右にいくと、鉄橋が現れる。日本統治時代に建設された鉄橋があり、現在も使用されている。

橋の脇にトーチカがあり、守備兵がいたので写真を撮るのをやめた。ただ、鉄橋は地元の人が徒歩で渡っているので上ってみた。

そこにも兵士が2人いた。線路の脇に板が敷いてあり自転車や徒歩で向こう岸まで渡れるのだ。やがて列車がやってきて、わたしの脇を通り過ぎていった。
かっては大連からやってくると、ハルビンで浜洲線に乗り換えれば、モスクワからヨーロッパまで行けた路線である。




■ 東アジア旅行記 目次
inserted by FC2 system