ホイアン

 ホテル探しでくたくた!

2009年3月11日


2009年3月11日


フエでフォー、饅頭でぼられ!


ホイアンまでバスで行く日だ。
朝食を求めて、ホテルを出た。2ブロックほど歩いた「You and Me」にまた寄ってしまった。てきぱきとしている女将がフォーをつくっているのに好感を持ってしまったのだ。自分ではキッパリ、テキパキが苦手なので、持っている女性にすり寄っていくのだろう。だが、本当はすり寄っていけない。はにかみながら、手でフォーをお願いするだけである。

今日もそのようにして食事が始まった。
しけた風情の饅頭売りがテーブルにやってきた。突然、フォーに饅頭という組み合わせの妙に気づいた。フォーのスープに饅頭を浸して食べる。今日はまだ腹の調子はイマイチだが、頭の冴えはいい。
「いくら?」
一個、新聞紙に包んで渡された。
「1万ドン」
「エッ」
貧しい紙に包んだ饅頭が60円? 今まで経験したベトナムの物価にそぐわない。1万ドンならば、コーヒーとケーキが食べられる。テーブルの周囲に助けを求める。女将は、それでいいんだよ、払いな。そんな仕草をする。
「はいよ」
女将がそう言うのなら払うもんね。戦わない。言い値だ。お釣りはとっておきな。そんな気分でもたったの60円の支払いだ。今日のフォーも1万5000ドン、約90円。支払って女学生がたむろしているところに向かった。


フォー、飽きてきた

饅頭

女学生がたむろしていた

売っているのはフランスパン

ぼったくりの饅頭屋

美味しくはなかった

実は、フォーどころではなかった。
近くで女学生が集まって何やら食べている。ダッシュだ。
「何、食べているの?」
英語で尋ねる。うふふと、笑顔。だが、答えてくれない。
「何なんだよう」
しつこい。
おっ、そばに饅頭屋がいるではないか。あいつはワタシの顔を見て逃げそうになる。
「おい」
ぼったな。文句を言おうとすると、饅頭屋は直立し、片手をあげて最敬礼する。敬礼してくれたから、許すか。
「なんでもないよう」
女学生もいるし、大人げないよな。そう納得させたのだった。




フエ→ダナン→ホイアンの極楽バス


5時間のバスらしい。念のため、下痢止めを飲む。
これで途中トイレに駆け込まなくても済むだろう。

ホテルからツアーバスまで歩いてゆく。ほとんどは白人の女性である。何か楽しくなってくる。理由は分らないが嬉しくなってくる。そういうことってありますよねえ。バスがフォー屋の先に止まっていた。すでに前の席は埋まっていた。仕方無い。後部座席である。その後には、若い白人女性だ。また、頬が緩んでくる。何を話しているのかな? 長いバスの旅、どうも寝付けない。そういうことってありますよねえ。

5時間だが、それは表向きだろう。
インターネットで旅行記をチェックすると、五行山にトンネルができたので、4時間程度で、午前中にホイアンに到着したという記事が散見できた。よし、ホイアンで昼食だ。

バスが一回目のトイレ休憩に入ったのは11時20分だった。ワタシが立てたバス予定にすると、遅れ気味だ。トイレ休憩を短くすれば、ホイアンには12時30分には到着するだろうと、計画を頭の中で変更する。だが、何と言うことか、トイレ休憩は40分だと言う。すると、ホイアン到着は午後1時すぎ? 昼食、どうするのよ。

乗客は併設されているレストランで食事を始めた。冷たいジュースやコーラを飲んでいる度胸満点なモノもいる。下痢になっても知らないからね。わたしは飲まない、焼きそば食べないからね。こうして、バスはトンネルをくぐった。
「このトンネル、日本が作ったんだからね」
そう言いたくて周囲を見たが、勝手に話をしている白人ばかりである。ワタシの隣の席は空いているのだが、だれも座らない。なんで? トンネルの自慢を聞いてくれるヒトがいないじゃないか。


同じバスのバックパッカー

途中のトイレ休憩

バスの中ムンムン

トイレ休憩の道路

漁をしているらしい

バスの窓から



ホイアン到着、トホホのホテル探し


ホイアンの街外れのバス停に到着したのは午後1時近かった。
さて、ホテル探しだ。バスの到着に集まってきた人々に街はどの方角か訪ねる。
「あっちだ」
右手を指し示す。それで歩き始めた。50メートルも歩くと、空腹と暑さで立ち止まった。それ以上に問題は、家々がまばらになってゆく。間違った方向に進んでいるのではないか。人に聞くと、あっちだ、と今来た方向を指さす。また、戻る。停留所には、まだ人びとがいる。彼らは信用できない。ホテルがあるので、従業員に街の方向を尋ねる。
「こっちだだ」
また、反対を指さす。
「うちのホテルに宿泊したら? 25米ドルだよ」
いったいどちらが街なんだ。切れてしまった。いや、ベトナム人に負けた。とうとうバイクタクシーのお世話になる。まだ、終わらない。代金の交渉だ。やっとまとまったのは2万ドン、120円。向こうはこちらを右だ、左だ、と歩かせ、動けなくして交渉に臨むんだもの。ここでも負けた。それからワタシを乗せ、荷物を前に抱え、出発だ。

ホテルの名前を適当に言って、連れていってもらった。
だが、そのホテルは満員。今度は歩いて近くのホテルへ。空いているというので、交渉である。40米ドルから25米ドルにまで負かす。汗を流し、空腹でも頑張った。



ホイアンの世界遺産へ


荷物を置いて、食事にでた。
地図で見ると、ホイアンの旧市街まで5分くらいだ。歩き始めた。地図を見ながら、交差点ごとに慎重に確認する。ホイアン・ホテルをすぎ、郵便局を杉、学校をすぎて、炎天下を歩く。

よくよく見たら、交差点に案内があった

「こんなに遠かったのだろうか?」
それでも歩く。これじゃあ、旧市街に行くにはタクシーを使えばよかった。空腹だ。暑い。汗びっしょり。
「旧市街はまだですか?」
とうとうネイルサロンのお姉さんに尋ねた。
「とっても遠いよ。わたしがオートバイで連れていってあげる。2米ドルだしな」
「いや、いいです。どっちの方角ですか?」
「いいから、2米ドルで乗せてやるから。ついでにネイルの手入れはどう?」
「いいんです」
近くのホテルに逃げ込む。今度は1米ドルで世界遺産の街に連れていってもらったのだった。結局、地図の身間違え。地図には
からきし弱いのだ。



やっと昼食にありつく


もう、疲れてしまった。炎天下を1時間も歩いて、疲労困憊だ。ベトナム料理はヤダ。それでサンドウイッチにした。4万5000ドン、270円。カーゴ・クラブで風に吹かれ、ぼんやりとしながら、明日のチャム島でのダイビングは無理だなあと思う。カフェ・テラスの向かいから、娘さんが笑顔で見てくれる。急に元気を回復し、手を振ってしまうのだ。

サンドウイッチ、カーゴ・クラブ

ベトナム・コーヒーは濃い

この娘さんが慰めてくれた

昼食、カーゴ・クラブ



街歩き

今、手には「地球の歩き方」と「ベトナム町並み観光ガイド」(友田道博編)がある。旧市内の場所にたどり着けなかったのは、「地球の歩き方」の地図を見ていたから。冷静になれば、地図と実物はあっているのかも。

食事をしている「カーゴ・クラブ」は植民地風の建築物だ。この通りには、中国風と植民地風の建物が混在している。そのうえ、通りを拡張したのが原因で道路側の側面をスパッと切っている。これで屋根は左右対称になっていない。まあ、こんなことを「ベトナム町並み観光ガイド」で読んだわけだ。

ぼおっとしていると、かなり恰幅のいい民族服を着た女性が堂々と通り過ぎていった。思わず腰を浮かしたが、立ち止まってくれるわけもなく通り過ぎていった。いったい、このヒトはなんなのだろう。

果物売り

植民地風の建物。今はカフェ・テラス

中国風の建物

日本橋



夜のホイアン

トゥボン川から新市街を見る

ランタンを売っていた

旧市街にあるホテル



チュンバックでの夕食

ガイドブックに紹介されている名物の「カオ・ラウ」と「バイン・セオ」を旧市街にあるレストラン、チュンバックまで食べにいく。日本語のメニューもあり、きれいな写真も掲載されている。こういう店は高い割には美味しくないと経験が「止めろ」と囁くのだが、空腹のため食事をしてしまった。あとで知ったのだが、他の店も同じ写真と日本語メニューを使っていた。早い話、ホイアンでは、日本人はカモにされているということか。

レストランは100年以上前に建築されたものだ。カオ・ラウはちょっぴり辛くて食欲をそそる。バイン・セオはまあまあ。4万ドン、240円。今日は疲れた。地図を見誤ったのは、やはり自分に原因があるのだろうな。

  チュンバック

ベトナムのビール

バイン・セオ

カオ・ラウ
夜道に吹かれながら、アイスクリームとコーラを買う。2万ドン、120円だった。


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