景洪

メコン川下り
景洪(中国)からチェーンセン(タイ)へ


2007年6月12日



景洪港でのトラブル
景洪からタイのチェーンセンまでメコンを下ろうと思った。貨物船を捕まえれば2〜3日でタイに着くことができるらしい。このルートは北朝鮮脱北者もよく使う。

朝日新聞の記事によると、タイのメーサイ管区で拘束された脱北者は04年が28人、05年が100人、06年が367人だそうな。
 
彼らは北朝鮮を脱出し、中国を西に5000キロメートル。タイ族の住むシーサンバンナから熱帯雨林にまぎれ、数日かかって中国からラオスとミャンマーとの国境であるメコン川を下り、タイのチェーンセンに着く。

「景洪の港までは5元払えばいいんだからね」
ホテルの受付の娘さんの黄色い声援を受けて、タクシーの助手席に腰を下ろした。

タクシーの運転手は港の外れ、入口で、「ここだよ」と言うと、逃げるように去ってしまった。なんだか変だ。その先は、「立入禁止」と標識がある。

そのはるか先、坂道を下ったところに、貨物船が停泊している。
「なるほど、あそこまで行けばいいんだな。埠頭で交渉している人もいる」
守衛を呼び出し、門を開けさせた。バッグを引きずり、坂道を下っていく。

なんとなく変だ。だって、ここは国際航路。出国の場合はパスポートに出国印を押してもらって、税関でチェックを受け、船に乗る。それを省いて、タイに到着したらどうなるのだろう。
「おーい、戻れ」
「はーあ?」
「戻れ、入ってはいけない」
何やら遠くから怒鳴り声がした。
「立入禁止だ。拘束するぞ」
ぞー。

慌てて、坂を戻った。それでは、出国事務所に行けばいいのだ。瞬時に判断する。すごい、冴えている。でも、坂道はしんどい。横道に逸れて、建物の方に歩いていく。制服を着た男女が体操をしていた。何かヘン。汗がどっと流れる。よくないところにいるような気がする。
「そうか、彼らは出国事務の官吏なのだ」
ここは出国の手続きが済んだあと、いられる場所だ。体操をしている前を、スーツケースを引っ張りながら足早に行く。ヤバイぞう。出国手続きなしに出国してしまった状態なのだ。また、汗が噴き出る。官吏たちは、ヘンな男が、スミマセンなんて言いながら、こそこそしているのをじっと見ている。

早くパスポート上の状態(まだ、中国に滞在している)に戻らなきゃ。現実には、中国を出発している状況なのだから。走り出した。出国手続きのブースに痩せた体を割り込ませすり抜けた。顔はひきつり、自慢の眉毛は垂れてしまった。
「中国に戻った」




景洪港出発

チェーンセン行きの切符
待合室には旅行客が30人ほどもいた。
「こんなに多くの人が貨物船に?」
「タイのチェーンセンに行く船が出るんだよ。乗るのかい?」
「客船がある? 乗る」
「800元だよ」


乗客はフランス人の男性がいた。がっちりとした体に片方の耳にピアスをつけている。お友達になりたくないタイプだ。10名ほどのタイ族の娘を引き連れたシンガポール人。お友達になりたい。黒いスーツの中国人。タイ人などだ。


脱北者らしい姿はない。この船賃は高いし、表通りを行く船だから、乗船しないだろう。
「ねえ、ねえ」
タイ人に話しかける。
「タイ族の女性たち、あの人たちは何者?」
「彼女たちはな、明日の夜にはバンコクのゴーゴーバーで踊っているさ」
「パッポン?」
「あそこで使えるような娘じゃないよ」

待合室



船に乗るのかと思いきや、バスで出発

バスで出発

我々は船着き場ではなく、陸の方につれて行かれた。二台のバスに乗せられ、それから40分も走ったのである。

メコンは渇水期なので、船が上流にのぼって来られないとのこと。それで、下流に行くのだ。



やっと乗船

船内

片方の耳にピアスのフランス人

メコンを下る

国際河川なので、ラオスの国旗も掲出



船は下る

ラオスの小舟

浅瀬に来ると、竹竿で川底を突き、確認する






ミャンマー側
ミャンマーの集落が右側に見えた。
岸に船を着けると、船員がひとり、紙切れを持って川岸を登って行った。手続きが終わり、船は再び航行する。


ゴールデン・トライアングル近くに来た時、船は停まってしまった。エンジンの音がやみ、漂っている。2基あるエンジンのうち1基が故障したようだ。
「いつチェーンセンに着くのかな?」
心配しているのはわたしだけのようだ。タイ族の女性たちはスイカの種を吐き散らし、タイ人は眠っているし、フランス人は平然としている。





ラオス側の船
船の中で生活している。
向こう側の小舟なら、密かにタイに入国できそうだ。



チェーンセン近く
タイ族の女性たちもタイをじっと見ている。



チェーンセンで警察署に連行される
15年ぶりのチェーンセン港はすっかり変わっていた。埠頭まである。だが、港の前のスーパーマーケットは昔のまま、寂れていた。


熱帯の薄暮は短い。ストンと昼の時間が終り、夜がやって来た。フランス人はここに宿泊すると言う。わたしはチェンライで宿泊しようと思う。

スーパーマーケットで車を出してくれる人に電話をしてもらった。そのうちに闇がおり、夜になってしまった。

チェンライまで送ってもらおうと、ピックアップ・トラックの助手席に乗り込む。船でいっしょだったタイ族の女性とシンガポール人がやってきて、荷台に乗り込んだ。
「この人たちも?」
嬉しいのだが、トラックを借り切ったと思っていたので、複雑だ。
「まず、メーサイに行く、それからチェンライだ」
わたしの方が後ですか。多分、多く支払っていると思うのですが。運転手は港湾局に勤務しているそうだ。アルバイトでこの仕事をしている。

30分も走ると、真っ暗になった。街灯がないのだ。
「あんたたち、タイで働くの?」
「いや、わたしたちは観光ですよ」
シンガポール人がはぐらかす。
「娘さんを連れて?」
車が急停車する。後ろにパトカーがいる。

警察署に連行されてしまった。
「おい、その日本人とシンガポール人、そのオンナ、荷物を開けろ」
荷物を徹底的に調べられる。ついで、シンガポール人。何も問題がない。
「そこのオンナ、この錠剤はなんだ」
タイ族の女性のバッグから、大量の錠剤が発見されてしまった。

「このクスリでオンナと楽しむのか?」
警官が睨む。
「違いますよ。わたしは女性たちとは無関係です」
「あんたひとりで5人を相手にするのだろうに。このクスリは効くんだろ」
「違います」
「嘘をついちゃいけない」
にやにや笑っている。

「2000バーツでどうだ」
具体的な金額の提示がある。
「タカーイ、200バーツ」
タイ語で答える。
「ノー、1000バーツ」
交渉となれば自信がある。わたしの表情が生き生きしてきた。



新聞記事



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