シャンボジェ

エベレストが見えた!

1992年4月



エベレストが見えた。
早くシャッターを押してよ。隠れちゃう。
午前6時、熱いコーヒーを飲もうと食堂に行く。エベレストは見えない。ヌルチェ(7879メートル)やアヌタブラム(6856メートル)は目の前に、尖った頂を見せているのだが、奥に鎮座ましますエベレストは雲を被ったままである。東にあるアヌタブラムの頂の向こうから、朝日が差し込み、ヒマラヤを照らし始める。

また、コーヒーカップに手を伸ばす。食堂が明るくなった。テーブル・クロスの上にはトーストと目玉焼きが運ばれた。

午前7時になった。窓の外には白い山々が溢れるように展開している。万年雪が目に痛い。山が近すぎて、体を反り返し、首を曲げ、エベレストが現れるのを待ってはコーヒーを飲む。トイレに行った隙に、エベレストが現れては困る。じっと、我慢する。

テーブルのまわりにはチベット族のボーイが立っている。ここは標高3800メートル、世界で最も高所にあるホテルである。ちなみにお値段はカトマンズからの送迎を入れて、1泊500米ドルだ。だって、滑走路はホテルを建設した日本人がつくったのだから。


窓からヌルチェ、ロッチェ(8511メートル)、アヌタブラムがくっきりと見える。白い雪が眩しい。その奥に、エベレストはあるのだが、まだ現れない。

やっと念願のエベレストを前にして、じりじりしている。トイレに行っているすきに、現れて消えたりしては残念だ。トイレにも入れない。トイレは日本のTOTO製の立派なものが備えつけられている。脇にバケツが置いてある。これで流すのだ。

念のため、風呂はあるが水が貴重なため、汲み置きの水で体を洗う。

相変わらず、他の山々だけが青白く光っている。このうちひとつだけでもヨーロッパに持っていけば、マッターホルン以上のスターになれるのに。ネパールに生まれた山の悲哀を感ずる。

だいたいカーペットの敷いてある食堂で、給仕を4人も従えコーヒーを飲みながらエベレストを見るなんて安易すぎるのか。少しは自然の厳しさに尊敬の念を持たなければいけない。エベレストだって強風の中、立派に聳え、世界一を確保しているのだ。ヒトには言えない苦労だってあるだろう。いつも風に当たっていると山肌が荒れる。ちょっと他の山に隠れようなんて言わないのだ。えらい!

外に出てみる。冷気が鼻の穴から、開き気味の口から入ってくる。うー、寒い。直ぐに、部屋に戻る。こんな軟弱なわたしだ。エベレストだっていい気はしないだろう。もう少し隠れていよう。そう思っているのに違いない。

食堂でエベレストを注視する。谷の奥だぞ。その頂だけに、雲がある。部屋は温室と間違うほど暖かい。

三角形の頂がほんの少し見えた。エベちゃん! もう少し見せて。
見えた!

エベレストは青白い崖を見せて威風堂々と聳えている。強風が雲を吹き飛ばし、空が透明になっている。垂直の壁は1000メートルもあるのか。エベレストは男だ。わたしだ。どさくさにまぎれて、すみません。言いすぎです。


よし、外で撮ろう。寒いよー。

コーヒーのお代わりをもらう。ヒマラヤの水をつかっていれたコーヒーの味も世界一だが、景色もいい。でもせわしいのだ。写真を撮り、メモに書きつける。何を逆上したのか、チベット族の給仕に、エベレストはあれだねと確認するのだ。
「○○さん、リラックス、リラックス」
アメリカ人女性が言う。
「これでもリラックスしていおるつもりなんです。日本人は何かしていないと、不安を感ずるんです」
「エベレスト見えてよかった?」
「本当に! あなたともっと前に知り合えばよかった」
興奮してトンチンカンなことを口走る。




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