シャンボジェ

可憐な娘さんと……!

1992年4月



エベレストを見る。
昼食は日本式のカレーライスである。
アメリカ人女性も、その連れらしいワシントンDCで世界銀行に勤めているという大男も、決して自分のことを明かさないバルセロナからきたという三十歳代のスペイン人夫妻も昼食を楽しんでいる。

「みんなで大きなテーブルで食べようよ」
わたしがそう提案したのだが、他の人は嫌がるのだ。それでしぶしぶクボさんと一緒になった。

日の出からエベレストを満喫していたので目がしょぼしょぼしている。
「夕食はみんなでね」
念をおした。アメリカさんもスペインさんもそんな必要はないのだ。必要なのはわたしだけ。


夜、暖炉が赤々と燃えている。
回りを5人が囲んでいる。クボさんは部屋で酸素ボンベを愛用しているのだろう。スペインさんは新婚でもなさそうなのに、お互いに寄り添って腿を撫であっている。アメリカ人の大男はコカコーラだ。


クボさんとの食事、つらい。

彼の食事はポテトフライを皿いっぱい。ハンバーグ、コーラである。わたしはサラダ、魚のクリーム煮、ビールだ。アサヒである。
「カトマンズで何を観光した?」
アメリカ人がスペインさんに尋ねる。
「川くだりだ。筏で下るんだ」
「何という会社のツアーだい?」
「XXツアーだよ」
「不ーん、それは三流のツアーだな。あんた、ツアーは一流のところでないといけないよ。わたしは世界銀行に勤めていてね……」
始まったな。わたしは、アメリカ女性を見やる。
黒人との混血とも、アンデスの血が入っているとも、半分は日本人かなともとれる顔をしている。つまり、かなりの美形なのだ。可憐なヒマラヤの花のようだ。

「数年前に7000メートルの山に無酸素で登ったんだ」
大男は話し続ける。
「意識がなくなりかけて……」
そうそう、意識がなくなってちょうだい。きれいな女性はお前には似合わないんだよう。
「バンコクのオリエンタルホテルでは2週間で5000米ドルだったかな。あそこの食事はうまいよね」
「そうだね。最上階にあるノルマンデーというフランス料理屋、いい味してるよ」
わたしも激しく応答する。

トイレから戻ると可憐さんが話しかけてきた。
「わたし、何度も日本に行ったことがあるのよ」
「仕事で?」
「映画の翻訳よ」
「だって、日本語、話せないじゃないか」
「安曇野だって、京都へも行った」
「ぼくもアメリカへ行ったことがある」
そう言いながら、リチャード・ライト、ボールドウイン、ヘンリー・ミラーたちの作品を説明する。
「リチャード・ライトどう?」

ホテルの部屋で。

可憐さんはあまり知らないのよとはにかむ。
笑顔が素敵だ。もうアメリカ人の大男に殴られてもいい。
「話しているうちに、あなたを好きになってしまった。あなたって、話すと魅力が湧いてくるのね。すきだわ。もっと話していたい」
可憐嬢、微笑むとトイレに、と言って席を立った。いつの間にかスペインさんがいなくなっている。大男も部屋に戻ったか。

わたしは震えている。暖炉の火も消えそうだ。シェルパ族の給仕がわたしを囲んでじっとしている。部屋に戻るのを待っているのだ。
可憐嬢は戻ってこない。


数日後、シャンボジェからカトマンズに戻る日である。空港に飛行機がやってきた。日本人のHanakoさんが2名降りた。ホテルの女性マネジャーが出迎える。
「マネジャーがね、エベレストは昨日まで晴れなかったんだけど、今日はエベレストが見えるんだって。ラッキー」
Vサインである。
ヒマラヤの奥地でシェルパ族を使い、ホテルを運営している日本人女性マネジャー、ただものではない。



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