アルル

ヴァン・ゴッホの足跡を巡る!

2014年7月31日〜8月2日



朝食、カヴェルリ門近く
前日に、クレモンソー通りにある「Information」で買っておいた日本語の「アルル 散歩案内コース」(1ユーロ)を道案内にして、ヴァン・ゴッホが描いた地点をなぞることにした。この冊子には地図上にゴッホが描いた地点が記されていて、とても有用だった。


朝食はヴォルテール広場と石門の間にあるパン屋さんでパンを買い、カフェでコーヒーを注文。地元の人たちは朝からワインを飲んで楽しんでいる。パンは0.8ユーロ。コーヒーは2.5ユーロ。


ゴッホがいたころの地図を見ると、この地域は娼館街だったようだ。その時から120年以上、今は労働者が朝を楽しんでいる。
【気をつけよう! 地球の歩き方!】

2014年3月ごろ、アルルに旅行する数ヵ月前のことです。地球の歩き方 フランス(13〜14)を購入し、アルピーユ列車が運行されているとの記事を読みました。

念のため、旅行者のブログを読んでみると、「駅の前で長時間待ったが列車が来なかった」、「駅が閉まっていた」とかの記述がありました。何かおかしい。

それでアルルの「Information」に、列車が運行されているかどうかメールで照会したところ、2013年1月13日で廃止とのことだった。


地球の歩き方 フランス(13〜14)版の発売はいつでしょうか? 2013年の春でしょう。列車の運行が廃止されてからも記事を訂正せずに、刊行したのか。









「星降る夜」 制作地点 ― ローヌ川岸


ゴッホがパリからアルルにやってきたのは1988年2月21日。
「星降る夜」は1988年9月に制作された。ゴッホはここでローソクを頭に立てて描いたらしい。

ローヌ川岸にある制作地点は駐車場の脇にある。
観光客はゴッホが描いた地など気にもとめずに、ローヌ川を見たり、話しこんでいた。



「黄色い家」 制作地点 ― ラマルティーヌ広場


「黄色い家」1988年9月制作。ゴッホは1988年5月から黄色い家を借りたそうだ。
家は写真正面にあったが、戦災で焼失。絵と同じように、奥に鉄道のガードが見える。




「夏の庭園」 制作地点 ― リス大通り
リス大通りと古代劇場との間の公園。ゴッホはこの公園には足しげく通ったらしい。

1988年10月に「公園」を制作している。耳をそり落としたゴッホの顔がはめ込まれている。目の力が強烈だ。



「跳ね橋」 ― アルル郊外

クレモンソー大通りにある停留所
1988年3月、ゴッホは「跳ね橋」を描いた。その跳ね橋はアルルの南部に移築されている。

写真はクレモンソー大通りのバス停。ここから1番のバス、Barriol行きに乗車(片道、0.8ユーロ)。終点下車。約20分で到着する。ここから強い日差しの中を15分ほど歩く。

バスに乗って!
バスの車内。結構混雑していた。郊外には団地がある。
終点ということで安心していたら、バスは循環するようだ。運転手が「跳ね橋へ行くんだろ。ここで下車だよ」と教えてくれた。

ついでに「跳ね橋」の方向を尋ねる。
「真っ直ぐ行って、左に曲がる。標識が出ているから」

真っ直ぐ15分ほど歩くと跳ね橋の標識があった。

廃線跡をすぎると、橋が見えてきた。




跳ね橋を見ていたら日本人の団体がやってきて、写真を撮ると、嵐のように去って行った。
再び、静かな時間となった。


絵を描いている人がいた。

跳ね橋から見える風景



昼食、APSARA
跳ね橋を見たあと、昼食とした。ホテルの従業員に教えてもらったレストランへ行ってみた。上品な味で、気にいった。経営者はラオスから移住したとのこと。

カオパット、フォー、パッタイで26.9ユーロだった。

静かな店内

焼きそば

焼き飯

フォー



「病院の中庭」 制作地点 ― エスパス・ヴァン・ゴッホ 


1989年4月に制作。耳切り事件のあと収容された病院。
観光客が多い。



「夜のカフェテラス」 制作地点 ― フォーロム広場
35年ぶりにこの地点を訪問したが、通りはまるっきり変わっていた。その時に食べたベトナム料理店はなくなっていて、大勢の観光客が歩いていた。

カフェ・ヴァン・ゴッホでは大きな帽子をかぶった東洋人の女性がひとり背を伸ばしてコーヒーを味わっていた。緊張感が溢れ、痛々しかったな。


ゴッホは1988年9月に「夜のカフェテラス」を制作した。



フォーロム広場周辺
アルルの黄色の家。路地やローマ時代の遺跡に調和している。



「トランクタイユ橋の階段」 制作地点 ― トランクタイユ橋 


1988年10月に描いた。お嬢さんが絵の案内図の前でポーズをとっている。
左手はローヌ川。右手は雰囲気のよい路地が続いている。散歩にもってこいだ。



「アリスカンの並木道」 制作地点 ― アリスカン


1888年10月。ゴッホと短期間生活を共にしたゴーギャンもここで描いたという。

「アリスカン」の受付で、お嬢さんに、「35年前にここに来ました。あなたが生まれる前ですけど」とからかいました。
「わたしの生まれる7年前か……変わっていないでしょ」
「ローマ墓地は変わってないけど、ワタシのバディは変わりましたよん。ピチピチが今じゃ、ミイラです」
寒いジョークを飛ばして、墓地を散策しました。
隣接した公園では当時訪問したときと同じようにペタンクを楽しんでいる人たちがいました。アリスカンも公園も変わっていない。





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