アモイ コロンス島

旧日本総領事館、旧日本愛育病院

2012年12月4日




朝食、温峰小吃店
朝、コロンス島のホテルの裏手にある食堂に入りました。
通勤者でしょうか。次から次へと客がやってきます。うどんを啜り、揚げパンを食べ、フェリー埠頭の方角に足早に歩いていきます。

彼らに混じって、うどんと揚げパンを注文しました。7元。



朝のコーヒー
コーヒーを飲みたい。KFCしか営業していません。ほとんどがら空きの店で熱いコーヒーを味わいました。うどんよりもコーヒーの方が高い。7.5元です。



散歩



海岸から
ホテルに戻り、一休みして散歩を始めます。
海岸へ出ます。対岸のアモイの高層ビルが輝いています。連絡のフェリーが行き来しています。人々は働き始めていました。


コロンス島が共同租界地だったころ、アモイに住む人々は島をどんな気持ちで眺めたのでしょうか。



旧日本博愛病院
海岸脇の道路を西に歩きます。
眺めのよい場所に日本の病院、旧博愛病院があります。最盛期には年間20万人の患者を診察したというのですから驚きです。日本人だけ治療したのではないのでしょう。中国人も……。

海岸の前は道路。そして芝生。白亜の病院と続きます。一等地に病院を建設したのですね。



復興堂

日本の旧博愛病院を後に、海岸脇の道路を行くと、道路が二手に分かれました。海岸線を行くのと、島の内部へ行く道路です。

坂を上り、島の内部へ続く道路を歩きます。まるで西洋の街を歩いているようです。再び、道が二手に分かれました。分岐点に教会があります。「復興堂」か。教会は静まり返っていました。

向かいに、興賢宮というお寺もあります。そこは線香の煙が充満していました。キリスト教と仏教が併存しています。



許家圓

ダラダラ坂を歩いていくと、また道が分かれます。角にオールドハウスが現れました。許家園とあります。

覗きこんでみると、内装工事中でした。どんな金持ちが住んでいたのでしょうか。



八角楼
しばらく行くと、八角楼です。穀物の商売で財を成した林氏の住宅です。いかにも西洋風の建物です。

現在、高級ホテルとなっていて、安い部屋で、1泊1500元でした。中国の若者が大勢宿泊していました。




黄栄東堂
しばらく路地を歩きます。そのまま進み、路地を曲がると、黄栄東堂です。フィリピン華僑の別荘として建築されたそうです。門にはカジュマルの大木が覆いかぶさっていて、いかにも豪邸という感じ。内部は南国風の庭園と巨大な円柱がありました。



海天道構
向かい側には、フィリピン華僑の別荘。海天道構です。建物は中国風。豪華絢爛です。



天主堂
そのまま細い路地を歩くと、右手に天主堂がありました。1917年に建築されたそうです。

敷地に入ることはできません。この天主堂は中国人団体旅行者の立ち寄り定番コースらしく、旗を持ったガイドを先頭に、中国人がにぎやかに通り過ぎていきました。足元には品物を地べたに広げた物売りがいます。
天主堂の後ろでは新婚さんが写真撮影に熱中していました。お幸せに! ここはもう旧日本総領事館の後ろ。職員用宿舎だったらしい建物があります。日本関係の建築物は、現在使用されていません。



旧日本総領事館



旧英国総領事館
旧日本総領事館から坂を下り、また上ると旧英国総領事館が現れます。

現在は、CONSULATE INNとなっています。海が見える部屋の料金を尋ねると、600元以上とのことでした。ロビーには古い家具が置いてあって、雰囲気がよさそうです。


このホテルも観光の目玉。中国人が列をなして見上げていました。



旧ドイツ領事館
旧イギリス総領事館と細い道路をはさんで旧ドイツ領事館があります。現在は、「娜雅」。人気があるホテルです。

写真のとおり薄い緑色と赤っぽい支柱とがコロンス島に溶け合っています。



国際青年旅社
旧ドイツ領事館の隣は国際青年旅社。ドミトリー形式のホステルです。立派な門、垢抜けた建築物から、どこかの国の外交施設だったようです。



湾景旅館



昼食
旧領事館がある通りから数分歩いて、昼食のために繁華街へ。混んでいそうな一軒に入りました。焼き飯と水餃子を注文しました。

食べながら「好吃」と言うと、隣のテーブルのお嬢さんが発音をなおしてくれました。何回も何回も。「どこから来たの?」
「日本だよ」
 頷いてくれました。昼食代は17元。

溢れそうな焼き飯

水餃子

店内



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