北京

東交民巷と直訴する人たち

2009年10月27日



東交民巷辺りを歩いた!
地球の歩き方から



東交民巷への入口で迷う
地下鉄を「崇文門」で下車。構内に東交民巷への表示があったので簡単に行きつけると思った。

通りに出てみると屋台で食べ物を売っていたり、キオスクがあったりして、そちらの方に気を取られてしまった。雰囲気がいいのだ。

東交民巷は同仁病院の脇を入っていけばいい。だが、その道路が見つからない。その上、同仁病院がいくつもあるのだから混乱してしまう。




やっと見つかった東交民巷
道行く人や商店のおばさんに尋ねる。あっちだ、と言うばかりで、さっぱり分らない。そこで、病院の医者に尋ねればちゃんと教えてくれるだろうと考えた。その考えは当たった。

何メートル行くと右に入る道がある。そこが東交民巷ですと教えてくれたのだった。

その道が右の写真。なんだ、地下鉄をでたところじゃないか。

東交民巷を歩きたくなったのは、清朝の末期、ここに各国の大使館が集まり、1900年に起こった義和団の事件の舞台となったところだからだ。映画、「北京の55日」でも知られている。

当時、ここは城壁で囲まれていて、中国人は住むことができなかった。各国は治外法権と駐兵権を持っていた。そんな時代の雰囲気がまだ残っているという。

さて、歩きはじめる。北京にしては道路の両側に並木があり、古めかしい洋館がある。



天主堂


天安門広場に向かって歩く。
左側にかって旅行会社、ワゴンリーだった建物がある。背伸びをして覗いてみる。現在は中国の旅行会社が入っている。

台基廠大街に突き当たる四つ角に天主堂がある。台基廠大街はかって、rue Marco Polo(マルコポーロ通り)と呼ばれていたそうだ。



旧ベルギー大使館

旧ベルギー大使館
 
四つ角で地図を片手にうろうろしていると、「日本人ですか」と声を掛けられた。

パイプを加えた痩身の日本人男性がそばで私の顔を覗き込んでいる。
「天主堂の向かいは旧大使館です。さっきのぞいてみたら入れなかったですけども。義和団が立てこもったところです」
「入れない、それじゃ入ってみましょう」と私。写真を1枚撮って、退散した。


初老のパイプ氏の説明は続く。
「この台基廠大街を北に行くと、王府井です。途中にオーストリア・ハンガリー大使館があります。南にいけば、昔は城壁があったところです。近代化ということで城壁を取っ払ってしまって、道路にしてしまいました」

崇文門大街のことを言ってるのか。

四つ角の、天主堂の向かいは旧フランス大使館です。その先にフランスの旧郵便局があります。日本の旧大使館も。今、北京市の人民政府となっていて、中は見えないです。警官や私服がうろうろしています。写真は撮らないほうがいいですよ」


旧フランス大使館

「旧フランス大使館跡」は軍関係の施設になっているらしい。塀の中から、なにやら掛け声が伝わってくる。訓練でもしているのだろうか。

入口で写真を撮ろうとしたが、軍人が立哨していて制された。でも、100年前の時代に遡ったような気持ちがして、気分が高揚してくる。
「フランス大使館」に隣接して、「旧フランス郵便局」がある。昔は各国が自前の郵便局を持っていたのだ。

窓から覗いてみると、かなり高級なレストランらしい。白いテーブルクロスがかかったテーブルが並んでいる。あいにく、まだ営業をしていない。「静園川菜」と看板がでている。四川料理店らしい。
建物にはこうしたプレートが打ちつけられている。「地球の歩き方」を見ながら歩いているのだが、このレストラン「静園川菜」までは紹介されていない。あまり、詳しいことは記載されていない本だ。



旧日本領事館

旧日本領事館


数軒先に、「旧日本領事館」があった。赤煉瓦の建物である。プレートには「日本公使館」と書かれていた。

木の床を歩いている領事館員の姿を想像する。

旧横浜正金銀行


「旧日本領事館」の隣は「東交民巷飯店」。道路を挟んで反対側にはもっと安そうな飯店があった。宿泊料金を聞くと、300元とのことだった。

次が「旧横浜正金銀行」だ。道路の向かい側である。ここはもう、正義路。北京の行政の中心街である。
「旧横浜正金銀行」を示すプレートにはなぜか「横浜」という文字に横線が入っている。



旧日本大使館

旧日本大使館


ここで正義路を北に行くと、パイプ氏が教えてくれた「旧日本大使館」がある。ここは北京市人民政府。軍人、警官がうろうろしていて、それにどうも私服もうろついている。写真を撮らないように。忠告された言葉が蘇る。

すると、撮りたくなるのが人情じゃありませんか。正義路の反対側から一枚撮ってみたのがこれです。


東交民巷へ戻る。天安門広場の方角に向って歩く。右側に大法院があり、その向かいは旧シティバンクである。隣に、旧チャータードバンク、旧インドシナ銀行もある。

ここを歩いていると、空気が不穏なので歩きたくなくなってきた。警官、私服、軍関係施設、そして、地方から上京した直訴する人々が目につくからだ。
東交民巷について書かれているガイドブックはロンリープラネットの「北京」がいい。詳細である。ただ、写真がないのでね。

本では、森田憲司氏の「北京、見る読む集める」が参考になる。



直訴する人々


大法院前である。
地方から上京した人々が、何やら訴えている。その奥は威圧するような巨大なビルがそびえている。地方の人々の気持ちを打ちのめすには十分な建物だ。

こういった人たちは、正義路の北京市人民革命政府の前にもいる。ダンボールに要求を書きつけ、黙々と歩いていたりする。
東交民巷の街歩きはここでストップ。
中国政府が、人々をのこれ見よがしに威圧する風景と、非道を訴えるすべを持たない人々の悲しさに耐えられなくなってしまったからだ。

天安門まで行けば、坂を下って眺望が開けるらしいのだが、もういい。



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