ルアンプラバンのナイトマーケット


2009年3月6日

成田空港を18:10発の日本航空機で出発した。
当日の夜22:15にハノイ着。送迎をハノイの旅行代理店に依頼しておいた。実は、その旅行代理店にダナンからサイゴンまでの統一列車の切符を頼んでおいたからだ。ハノイでその切符を受け取ることになっている。税関を出たのは、午後23時。約束どおり運転手が待っていてくれた。黙って、車に案内してくれる。だが、切符をくれる素振りすらない。

ホテルはJTBに依頼しておいた。HERITAGE。空港を出てから、何も見えない中を約1時間かかった。ここはJTBが紹介できる最低ランクのホテルである。それでも8000円はする。ホテルまで送ってもらい、運転手に統一列車の切符48米ドルと送迎代金30米ドルを支払おうとしたが、切符は預かっていないと言う。運転手は送迎代金を受け取らずに、「バイバイ」なんて言い残し、帰ってしまった。

ホテルのデスクも切符を預かっていないと言う。不吉である。統一列車に乗れないのか。明日、旅行代理店から話があるだろう。ホテルの部屋はヘンな臭いして気持ち悪い。我慢してベッドに入った。




2009年3月7日



ゲストハウス探し

朝6時、ハノイの空は暗い。
レセプションに行くが、統一列車の切符は届いていない。そのまま、昨夜、ホテルに予約しておいたタクシー(15ドル)で空港に行く。ちなみにこの金額では嫌だと交渉したのだがまとまらず、言い値を払った。搭乗便は午前9時発のベトナム航空である。待合室はほとんど客がいない。

ルアンプラバン着は午前9時55分だった。
空港にタクシーの切符販売所があった。他の運送手段に乗ろうとしたが、乗合バスも他のタクシーの姿は見当たらない。ゲストハウス街にある「アムマタ」まで行ってもらう。切符は3米ドルだった。

お屋敷街のようなところに「アムマタ」はあった。料金は1泊35米ドル。だが、部屋はすべて埋まっているのだと言う。周囲にあるゲストハウスに行ってみるが、すべて「空室なし」。空いているのはホテルだけで、70米ドルから90米ドルだ。これでは宿泊できない。結局、「アムマタ」に紹介してもらった「B&B」ゲストハウスにした。25米ドル。


「アムマタ」ゲストハウス

宿泊した「B&B」ゲストハウス


街歩きへ

「B&B」ゲストハウスは中心地からは離れるが、新しく、気持ちがよい。ただ、25米ドルの部屋は朝食なしで、窓なし、シャワーの湯はちょろちょろである。日本人や白人が宿泊していた。日本人の父娘は1か月をかけてラオスを回るのだと言う。

その日本人に街への道を尋ね、昼食がてら出かけることにした。街には「ワットビスンナラート」の脇を抜けて、15分くらい歩かなければならなかった。


カオソーイ

ついでに「おこわ」も注文


カオソーイ

「チャオファーグム」」通りまでくる。角にカオソーイ屋があった。そこで昼食とした。カオソ−イが1杯、1万キップ(121円)だ。蠅を追い払いながら食べていると、隣にいた日本人男性が話しかけてきた。
「日本からバンコクに入りまして、そこから列車でノンカイ。バスでビエンチャン、ルアンプラバンとやってきました。4泊したら、帰国します」

男性は手持無沙汰らしい。連れ立ってJOMAというケーキ屋に入る。カオソーイだけでは、どうも物足りなかった。そこで屋外の風に吹かれて、ぼんやりと通る人々を見ている。コーヒーは日本のそれのように飲みやすい。写真のパンも甘ったるく、熱帯の風に吹かれて食べる。


JOMAのコーヒー

JOMAのパン


美味しそうなパン

「シーサワンウォン」通りを歩く。
観光客は白人が主である。ラオスの人は彼らの好みを知っているかのようにカフェや品物を展示している。人々は穏やかだし、歩いていてとても気持ちがよい。


フランスパン、美味しい

果物が豊富だ

果物をプラスチックのケースに入れて売っている


国立博物館へ

パン、果物などの盛り付けがお洒落だ。
ぶらぶら歩きながら、店を冷やかす。売り子はしつこく寄ってこないので助かる。

日本人男性と別れ、翌日のエレファント・ライディングの予約をするために、「シーサウンウォン」通りに。軒を連ねている旅行代理店を回る。どこも一日のコースで35米ドルだ。また、最初の旅行代理店から値切り交渉を再開する。一軒一軒、交渉である。最も安くしてくれた店で、契約した。29米ドルまでまけてくれた。

なんだか値切り勝った気分である。本当は負けているのかもしれない。さて、国立博物館に行こう。かっては、王様の住居だった館である。1975年まで使われていたらしい。だが、王様は革命のためにここを出ていかなければならなかった。

歩き疲れて、カフェテラスで休む。歩いては休み、また、歩く。そんな街歩きである。目的を定めず、気ままに歩くのが合っている。日本人の団体旅行者が現れた。5人ほどの中年の男女が、集合までまだ30分あると腕時計を気にしつつ、炎天下を
走っている。


国立博物館

カフェテラスで一息


路地裏からメコン川へ

路地を入っていくと、人々が踊っていた。一緒に踊りたい。楽しそうだ。テーブルの上には、ご馳走が盛り沢山である。遅い昼食なのだろうか。小さな店で缶ジュース(5000キップ、60円)を一本買って飲む。隣はインターネット・カフェである。白人で溢れている。日本語のパソコンは使えそうもない。

一息、入れるとメコン川へ出る坂だ。
遊覧船に乗らないか? 誘われるが、手を振って断る。そして、反対側のナムカーン川に歩いてゆく。


楽しそうに踊る人々

メコン川の船着場


ナムカーン川へ

はるか下の川では、子どもたちが水遊びをしていた。竹の橋を渡ってくる少年がいる。歩いていると、橋が揺れそうである。川に下る坂道の脇では、おばさんがバナナの葉でくるんだ食べ物を売っている。ぼーっとしながら、川をみている。もう、夕方である。

ナムカーン川で遊ぶ

ナムカーン川を渡る

岸辺で売っていたおやつ?

子どもたちが現れた


ココナツ・レストラン

夕食だ。「シーサウンウォン」通りに戻り、白人が多く入っているレストランを選ぶ。彼らが食事をしていれば、美味しい料理を出す店に違いない。ビア・ラーオ、フー・クア・シークー(焼きそば)、カオ・クア(焼きめし)、ヨー・カー・オー(焼き春巻き)を注文する。米ドルの支払いで10ドルだった。味は間違いがなかった。

ビア・ラーオ

フー・クア・シークー(焼きそば)

カオ・クア(焼きめし)

ヨー・カー・オー(焼き春巻き)


ナイト・マーケット

「シーサウンウォン」通りは夜になると、市場になる。品物は民芸品が主である。売っているひとは女性ばかり。観光客が大勢歩いている。自分は冷やかして歩いただけだったが、十分楽しめた。ここで値引き交渉でもすれば面白いだろう。

さて、トクトクを掴めえよう。ゲストハウスまで歩くのはおっくうだ。交渉の結果、2万キップ(241円)を1万6千キップにしてもらった。


ナイトマーケット、照明器具を売っていた

シルク関係が多い

飾り用の傘

ランタンも売っている


プーシーの夜景

トクトクを下り、ゲストハウスの前から遠くの丘を見る。プーシーに照明が当てられていた。。


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