ビエンチャン

托鉢の列

2008年7月21日〜26日


早朝の托鉢

早朝、散歩にでかけた。大通りから横道に入って待つ。
お坊さんの列が通りかかった。明るいオレンジ色の僧衣を着て、はだしである。横道に入ると、地元の女性が数人、道路に膝をついていた。

かっての王都であり、欧米人に人気のルアンプラバンだと托鉢の写真を撮影すると料金を請求されるほど僧侶はすれていると聞いていたので、慎重にシャッターを切った。何事もなく、托鉢の列はとおりすぎていった。





人民戦争歴史博物館


庭には戦車、戦闘機が出迎えてくれた。
ここの展示物は、よく磨かれている。戦車、トラックが展示されていた。今、磨き終わったばかりとでも言うように、油ぎっている。

2階は人民の革命の歴史写真が多い。中央にはカイソン元大統領の大きな胸像、周囲は赤の壁紙である。なんだか、北朝鮮を訪れたような気分になってきた。また、タイの無人偵察機も撃墜した残骸も展示されている。

国王の写真は1枚のみである。インペアリストとの説明が付されていた。この外、王族関係では、プーマ殿下、スファヌボン殿下の写真が数枚あるだけだった。

戦争人民博物館と名を冠しているからには、静かで荘厳な雰囲気であってほしいのに、壁の向こうからは、カラオケか、テレビが、歌が大音響で流れていた。この博物館にもっとも相応しくないものだった。




日本大使館  撮影不可


脱北者が日本大使館の塀を乗り越え、逃げ込んだのは2008年3月である。この様子はテレビで繰り返し放映されたので、記憶している方もおありだろう。

その5か月後に行ってみた。
日本大使館の塀を乗り越えた場所の写真を撮ろうと、車から降り、カメラを構えた。途端、ガードマンがやってきて、ダメだと言う。
「ワタシ、日本人です。ほら」
パスポートを見せる。そうこうするうちに、正門から別の2人が走ってきた。
「これは危険だ!」
直感する。車に逃げ込んで、運転手に発車させろと叫んだ。





国立競技場

ピッチではサッカー試合をしていた。
少しばかり、腹の突き出たひともいたが、パスはよく通るし、走りもなかなかのものだった。

ちなみにFIFAのランキングでラオスは189位、日本は34位だ(2008年8月4日現在)。




メコン川べり

エアロビクスをするおじさん。楽しそうだ! 
メコン川に向って歩いていると、ラーンサーン・ホテルが見えた。
15年前に来たときは、このホテルが闇の中に出現して、豪華ホテルだと目をむいたものだった。

今は、前の道路の両側には並木が植えられ、ヨーロッパ風の通りになっている。川べりを歩いて、ナンプ広場に戻る。薄暗くなってきた。お腹が空いてきた。



コープチャイドウー レストラン


ナンプ広場の脇にある外人の利用が多い店。
一階では冷えたビアラオを飲みながらビリヤードを楽しんでいる。2階は満席なので、3階まで歩く。なかなかシックな雰囲気のよいレストランだ。ちらほら日本人のカップルも食事をしている。カレーと焼きそばを注文した。




タートルアン。金ぴかの塔。

パトゥーサイ。



パクセ―空港

空港のテレビはタイの放送を流しっぱなしだった。
タイのテレビ放送は、朝と、夜、タイの国歌とタイ王族の一日の動きを放送する。これらもラオスで垂れ流しであった。



メコン川が見えた。 ラオス航空の機内。
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