敦煌

鳴沙山、莫高窟、玉門関、陽関

2007年12月27日から29日




成田から敦煌、12月27、28日

これですよ。日本航空の西安行きです。
成田発西安行きの日本航空機は写真のようにガラガラだった。ここ数年、年末年始を中国で過ごしているのだが、いつもこんなふうに空いている。

食事だって、ワゴンなんか使わない。ひとりひとりに運んできてくれる。
「こんなに空いていては、大変ですねえ」
思わず、客室乗務員に声をかけてしまった。
「帰りの便は満席ですから」
思わず笑ってしまった。負けず嫌いなんだな。



西安から敦煌

Grand China Express
西安で1泊して敦煌に向かう。
Grand China Expressという航空会社。30人乗りの航空機だ。日本人男性の2人連れと一緒になった。やはり観光で敦煌にいくとのこと。


客室乗務員はひとり。
飲み物を配ったあと、片付けが始まった。乗客が紙コップをCAに渡そうと手を伸ばした。するとCAは別の客たちから紙コップを集め、手を伸ばしている客の紙コップの上にのせている。


そのまま、紙コップを持たせたままどこかに行ってしまった。戻るとCAはビニールの手袋をしていた。乗客に持たせた紙コップをトレイにのせたのだった。分かるなあ。年寄りの手には触れたくなし、他人が使った紙コップなんか触りたくないもんね。


敦煌の空港から街まではバスにした。8元(128円)だった。街で下りて、ホテルを探す。15年ほど前に宿泊した敦煌賓館に決めた。

敦煌の空港



鳴沙山へ

1元のバスで。
赤いジャンパーは車掌。
鳴沙山へはバスで行くことにした。
1元だ。バスなので住宅地やラクダ、羊の飼育場を回って到着した。寒い、携帯カイロを持ってきたのだが、震えてしまう。



ラクダに乗る。

上海から来た若者たちと一緒

月牙泉



ラクダに乗っていると、じわじわと冷気がやってくる。血の気が失われていくような冷たさだ。零下15度だそうである。上海からきた若者はくったくなく楽しんでいる。



敦煌市内へ戻る。
若者たちはタクシーですうっと帰ってしまった。
わたしは上海と違って貧しい東京の田舎者。1元のバスを待って、停留所に立っている。

バスはまたぐるぐると回って走る。いかにも西域らしい左の風景に出会ったので、下車した。次のバスを待てばいいのだ。

市内の店先

敦煌中心街



12月29日、莫高窟
ガイドを頼んだ。せっかくだから、日本語でしっかりと説明を聞きたかった。ここで、西安から同じ飛行機になった日本人男性と再会した。

携帯カイロを2個もってきているのだが、効き目はない。零下18度だと言われる。



玉門関
ここでは、昨日、鳴沙山で会った上海からきた若者と出会った。お互いに、寒いね、と言い合いながら、それぞれの車に戻る。



陽関



一面の砂漠!



楡林窟

ここにも壁画が残っている。



敦煌でのごはん
牛肉麺

回族の食べ物だ。だからスープは牛骨からとるらしい。
「辛くしないでください」
通じなかった。紙に書いてみせると、娘さんがにやっと笑った。

来た。スープが熱い。ストーブのところに丼を運び、ふうふう言いながら食べた。これじゃ物足りない。野菜炒めもくださーい。牛肉めんと野菜炒めで10元だった。
赤爛羊肉

でてきた一皿は真っ赤っかなので、逃げようと思った。食べてみると、しっとりしている。骨付きの羊肉を煮込み、豆板醤で味をつけてある。うどんも入っているのかな? ジャガイモだった。

ガイドさんたちと食事をしたのだが、3人で48元だった。

豚肉のチョップスティック
豚肉のチョップスティック

敦煌太陽大酒店のレストラン、太陽宮で食事をした。人気料理のニンニク風味豚肉のチョップスティックを注文した。甘ったるく、それでいて辛さもあり、食が進んだ。サラダ、ごはん、デザートを含み71元だった。

黄色い皮の中は空洞だった。皮は甘く、パリパリしていた。







敦煌飯店に戻ると、60歳くらいの日本人女性が勢い込んで話しかけてきた。
「夫と敦煌にきているのですよ。明日は莫高窟に行きます。2泊して西安に戻るのです」
わたしは何も尋ねていないんです。夫のこともひとしきり自慢すると、エレベーターに向かって駆け出して行ってしまった。まるで、砂漠の砂嵐のようだ。

多分、旅行中も夫婦の会話はないのかも。それで、日本人を見つけてうっぷんを晴らしているのか。海外を旅行していると、こういった身勝手な人物に会うことが多い。

デザート



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