成田→ロンドン→ダブリン |
|
ヒースロー空港にて |
成田からロンドン、ヒースロー空港に入り、乗り換えてダブリンに到着した。1泊して北部のゴールウエイに列車で行った。 イニッシュモア島やモハーの断崖を見て、ゴールウエイから列車でダブリンに入った。 |
ゴールウエイ→ダブリン(列車) |
|
ゴールウェー・ダブリン間の列車の切符 |
朝、ゴールウエイのホテルで朝食を済ませ、列車でダブリンに戻った。料金は26.5€。この日も荷物を駅まで引きずって歩く。 ダブリンのホテルは、「Ashling Hotel」。ダブリンに到着した際に、1泊した。ここでも駅から歩いてゆける。 |
オコンネル・ストリート |
|
荷物をホテルに置いて、さっそく中心街に繰り出す。歩いても行けそうだが、近くに停留所があったのでバスにした。どこで下車すればよいのか、全くわからない。それも楽しい。 客が大勢下車したところで、2€払って下りてみる。地図と標識を合わせると、オコンネル・ストリートだった。図星。繁華街だ。今日は冴えている。 |
|
大通りをぶらぶらしてみる。寂しげな通りだ。広い通りなので、余計にそう感ずるのかもしれない。ガイドブックに共和国宣言がなされた中央郵便局があると書いてある。行ってみたが、閉まっていて入れなかった。 | |
トリニティ・カレッジ |
|
リフィ川を渡ってトリニティ・カレッジまで歩く。 |
カレッジでは10€でグループ・ツアーに参加する。学生が案内してくれた。金髪の礼儀正しい青年である。 |
ダブリン城 |
|
この城は、すぐに見つかると安易に考えていたのだが、いくら地図を見ても現れない。地図をくるくる回しても見つからない。そのうちに、自分のいる場所が分らなくなってきた。通りすがりの人に尋ねると、目の前がダブリン城だった。城の裏手にいたのだった。 | |
テンプル・バー |
|
ここで昼食だ。プラクトン・ストリートに回転寿司があるらしい。地図を手に、リフィ川の方角に戻る。入り組んだ奥にその店はあった。お茶を飲み、寿司をつまむ。お洒落な、モダンな寿司だ。「AYA」という店である。13€だった。 また、リフィ川を渡った。お洒落な街があるので、そこで一休みしよう。新宿と銀座をごちゃまぜにしたような街だ。ここで、やっと雑踏に出会った。 |
|
通りがかる人を見ながら、コーヒーとケーキにした。ゆっくりと時間が過ぎてゆく。それにしても涼しい。8月なのに寒い位だ。また、歩きだす。人だかりがしている。スポーツ・バーのようなところで、緑色が氾濫している。サッカーの中継をしていた。 |
|
夕方になると、パブに人だかりがしてきた。道路の真ん中で立ち飲みしている人も多い。 ついでだからと、夕食はテンプル・バーで取ることにした。中華料理屋が数軒目についた。ここで夕食にした。ファースト・フード風の中華である。 |
|
市内散策 |
|
このあと、バーナード・ショウの生家、18世紀の中流家庭の家、パトリック大聖堂などを回った。タクシーを使ったり、歩いたりした。 | |
18世紀の中流階級の家 |
公園にて |
ホテルでの火事騒ぎ |
|
歩いてホテルに戻り、ホテルのバーでギネスを飲んだ。いい気持ちになって部屋に帰る。風呂にでも入ろうかと下着になると、、警報機が鳴った。あまりにも執拗に、すぐ近くで鳴り続けるのでドアを開けてみた。煙が近くまできている。とっさに、貴重品とカメラを下げてホテルの外にでた。下着のままだ。 ホテルの人にガウンとスリッパを借りて、消防車が駆け付けなにやら活動をするのを待った。日本人がいた。武田薬品の人である。工場を建築するので、こちらに来ているのだとのこと。火事は大したことにならなかったのだが、部屋に戻れない。ホテルの隣のバーで休むようにとのことになった。それにしても、素足で下着の上にガウンはワタシだけである。どうしてこうなってしまうのだろうか? 化粧をしているおばさんもいるのだ。彼女たちは火事が怖くなかったのだろうか? ワタシはマジに怖かったんだから。 |
|
アメリカから来ているティーンエイジャーとそのお母さんとしばらく話した。ティーンエイジャーの女性は大学に入ったばかりとのこと。はきはきして、礼儀正しく、日本のことに興味をもっていた。母親の躾がいいのか、年長者をリスペクトしてくれて、素晴らしい若者だった。 火事騒ぎで部屋に戻ったのは午後10時20分。発生が午後8時30分だったので、2時間も外にいたことになる。 |
|
■ 西ヨーロッパ旅行記 目次 | |