プナカ

シャクナゲの峠を越えて!


 1992年3月


首都から峠を越える。

峠にさしかかる。
これから150Km離れた古都プナカに向かいます。車は約束とおりにやってきました。噂によると、ブータンの人たちは時間の観念が希薄だと聞いていましたので驚きました。噂は、時間に1時間や2時間遅れる。そんな生易しいものではない。1日、2日遅れると、情報を仕込んでいたのですが、あまり違わない時間にやってきたので拍子抜けです。

その上、ガイドは闇のマーケットへ連れていってくれて、米ドルと現地通貨との両替もすませてくれます。普通、闇のマーケットはこそこそと変えるでしょ。それが、国立銀行の前で堂々と、ですからね。

コロナは1分も市街地を走ると、市内を抜けました。見かけた車はほとんどコロナでした。大型のバスやトラックはインド製です。信号機はみなかった。お巡りさんが、交通整理をしていました。そんなわけですから、ガソリンスタンドは1軒のみでした。

市内の入口には軍隊の基地があります。あどけない表情の少年兵がいました。インドから軍事顧問が大勢常駐しているそうです。ブータンの位置を示しています。王宮の脇にもインド人を顧問とした軍事基地があります。その脇には、巨大なインド大使館です。まるで王宮を監視下に置いているようです。

道は細く、1車線と少しの幅の道路が山肌にへばりついています。橋は最小限しかありません。ときどき人に出会います。彼らは黙々と歩いていきます。本当に、着実に歩きます。1時間半でドチェ・ラという峠につきました。標高3200M。ここからブータン・ヒマラヤがみえるらしい。

ダルシンという旗が風で音をたてています。展望台で、温かい紅茶をふるまわれながら、ガスが晴れるのを待ちました。一向に、視界が開けません。寒い。微かに見える白い山並み。その向こうはチベットだそうです。

「よく見えなくて、残念!」
案内人が言います。彼はゴを着ていて、足にはサッカーのソックスのような靴下。そして、革靴です。なかなかお洒落じゃないですか。

杉の木が生い茂り、濃い緑の中を車は走ります。この国の道路建設は周辺の大国の思惑に翻弄されています。インドのネール首相はインドから首都、ティエンプーまでの道路建設を無償でと持ちかけました。時のブータン国王は拒否。現国王の治世下で道路建設が行われました。淡い赤色のシャクナゲがひときわ鮮やかです。車はゆるゆると走っていきます。それから2時間、やっとプナカに到着したのです。



プナカ
2つの川が合流する地点にゾンがあります。ゾンは地域の行政と僧院を併せ持った施設です。ヒマラヤの雪解け水に手を浸してみました。冷たくはないのです。ヒマラヤから流れてきた水だからと、痺れるような冷たさを期待していたのですが……。





← 橋を渡るとプナカである。



川岸には商店が並んでいます。透明な空気の中を馬がゆっくりと荷物を運んでゆきます。ここでは、まだ馬が使われている。

藁屋根の食堂で昼食です。
天井では大型の扇風機が思い出したように回転しています。ラジオからはディスコ風の曲が流れてきました。1曲、終わるごとに放送が途切れます。聞くと、ブータンの放送だそうです。
ダルという魚のスープにマッシュルームのカレーがテーブルの上にのりました。粟のようなご飯が山盛りです。これにひきかえ、おかずは小皿にほんの少ししかありません。
「ご飯、もっとどうですか」
案内氏が問いかけます。
おかずはすぐになくなってしまいましたが、、ご飯だけではぱさぱさとして、喉を通りません。

こうして、もう一度、シャクナゲの峠を越えてティエンプーに戻ったのでした。



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