ティンプー

幸福な人たち!


 1992年3月


ヒマラヤを見ながら!
ブータンの人々に親しさを感じるのは、いつか見た風景、懐かしさが目の前にあるからでしょうか。日本の農村地帯で、高度成長期前までよく見られた、くすんだ色のどてらのような着物に懐かしさを覚えるのかも知れません。

男性用はゴ、女性用はキラと呼ばれているそうです。女性の皮膚はブータン・ヒマラヤから流れてくる水を使っているせいか、実にきれいです。生き生きとしています。

男性の表情は精神的に一本芯が通っているようにキリリとしているのです。日本の戦国時代の武士の表情もさもありなん。頷いてしまいました。

この格好で手鼻をかむと決まるんです。日本ではもう見られなくなったんですが。あなたは若いからしらないでしょ。指を鼻に当て、ぴゅーんと飛ばすんです。首都のティエンプーでは、街のあちこちでやっています。






← 国際空港のあるパロに急降下します。



パロ国際空港に到着



首都、ティエンプーまで

空港から首都までは3時間です。

首都への入口。インド軍の基地がある。

首都の繁華街
そうそう、手鼻の話ではありません。
お洒落のことを伝えたかったのです。

昼間、映画館の前を通りかかりました。映画館は黒山の人です。まるで、革命が起こったのかと邪推してしまいました。薄暗い街に、色彩の乏しいゴを着た男性。少しアカぬけしたチベット人。小柄なネパール人はワイシャツ姿です。娯楽といえば、映画位なものなのでしょう。

若者が集まるレストランに出掛けてみました。ここは首都ですから、ディスコやバー位はあるんじゃないかと……。

夜、7時ころです。
この街の繁華街は100メートル足らず。街灯はぽつん、ぽつんです。映画館の前には黒山の人だったのですが、この時間にはだれもいません。

レストランです。粗末なテーブルが10個ほどありました。
よいしょと手をつきます。ゆらゆらとテーブルが揺れます。手のひらに砂がつきます。ここティエンプーでは季節風が強いのです。

ゴやキラの上に皮ジャンを着た若者たちが、シッキムから入ってきたビールを飲んでいます。何やら楽しそうです。シッキムのビールにモモと呼ばれる餃子。これに辛子をたっぷりとつけ、餃子を真っ赤にして口に入れるんですよね。

とてもわたしの口には合いません。
辛くて、辛くて! それで、なにもつけずに食べました。肉汁が染みだし、美味しい。思わず、目を閉じてしまいました。ティエンプーでは、わたしがいるレストランが最高にお洒落なところらしいのです。


商店街



首都の交差点
一人でモモを食べても、10個も食べるとモモ(もう)いいや、です。油っこいですからね。満天の星の明かりを頼りに、とぼとぼとゲストハウスに戻りました。ジャンパーのボタンをはめても、がちがちと歯が鳴ります。寒い。3月末のティエンプーです。


翌朝、ゲストハウスの前でぼんやりと、通るひとを見ます。着物を着た生徒が早足で通りすぎます。緑色です。街全体が、くすんだ色をしているので、とても鮮やかです。

ゲストハウスの前は商店が並んでいます。
米屋と服屋だけですが。ショウウインドも看板もありません。ガラスが入っていませんから。1階は店舗。2階は住居になっています。

米屋は細長い粒の米、赤い米がそれぞれ何種類も板の箱に入っています。その奥にはマッチ、インド製のインスタント紅茶が置いてありました。
← 王宮



(注)
宿泊したのはゲストハウス。首都にはホテルが1軒しかなかった。

寒いので、ストーブがあった。浴室にはガラスがないので、外と同じで、スゴーク冷えた。水? もちろん出ます。茶色ですが。




← 映画館



(注)
ブータンへの入国は、観光、かつグループでしか認められていなかった。どこにでも、例外はあるもので、なぜか、胸をはってブータンに入国してしまった。



食事
(注)
ブータンは松茸の産地。輸出のため、日本の商社も出入りしていた。だが、輸送の点で、問題ありとのこと。松茸の世界三大産地は、ブータン、北朝鮮、カナダだと。商社マン。

夕食、カレー

朝食

モモと紅茶
(注)
ティエンプーから国際空港のあるパロまでは90Km。東京・成田なんて高速道路がありたったの60Kmだ。ベンリー。

空港のイミグレーションは小さな小屋。税関は吹きっ晒しだった。寒いんですよ。



パロを飛び立つ
国際空港のあるパロです。
ドゥルック航空のハイテクジェット機が谷をかすめ、旋回しながら上昇して行きます。ぎりぎりで、山肌への接触を回避するのはまるで魔術です。

上昇するだけ上昇すると、窓の外にはブータン・ヒマラヤからネパール・ヒマラヤの白い峰々が雲の上に浮かんでいました。8000メートル級の山々です。

スチュアが配った辛子入りのパンとジュースで朝食です。窓の外には神々しいヒマラヤ、機内にはりりしいスチュアを見ながら……。
「エベレストはまだ見えないの?」
わたし、スチュアの袖を掴んで離しません。



そのスチュアは大喪の時、国王機に同乗して東京、大阪へ行ったとのこと。
「店が閉まっていて、ショッピング、できなかったわ」

あの時、ブータン国王はゴを着て羽田空港に下りたが、度肝を抜かれた人も多いだろう。野武士あるいは埴輪の人形が生き返ったような迫力だった。

国王は4人の妻、8人の子供を有しているとのこと。妻の4人は姉妹であるとも。


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