パリ

バトー・ムッシュ、大統領選ポスター、
プロレス見物

1981年4月



バトー・ムッシュ
パリも4月になると緑が多くなり、春らしくなってくる。並木は確実に緑の色を濃くしている。人々の笑顔も増える。

セーヌ川の遊覧船はおのぼりさんばかりだ。各国語が飛び交い、賑やかだ。
セーヌ河畔の高層ビル群。パリで最初の高層ビル。一角に日航ホテルもある。二回目の転居で、ここのアパートに入った。



日航ホテル近く


パリは高層ビルよりも、軒の低い建物の
ほうがいい。このスーパーマーケットも無
機質な感じがする。



パリ点景

印象派美術館だったような気がする。
昼食はフランス料理、夕食は日本食堂で食べるのが日常となっていた。
ある日の昼飯は;
@サラダ(ポテト、魚)
 貝のクリーム煮、コメ
 オレンジ

Aニシンのサラダ
 クスクス

Bキュウリのサラダ
  ステーキ、少量のスパゲッティ
  ケーキ(カラメル)

Cポテトのサラダ
  マカロニとソーセージ
  オレンジ
Porte de choisy にはカンボジャ、あるいはベトナムから逃げてきたひとびとの居住区があり、そこのレストランがいける。
そこではフランス風カンボジア料理ではなく、東南アジアらしい食事ができる。店は汚いし、混んでいるし、臭いがきついがぶっかけメシなんて、東南アジアのリアル感がある。

4月のある日の訪れてみた。味わったのは、
シュウマイ、餃子
焼き豚
焼きそば



コンコルド広場近く




フランスの3大大統領候補、ミッテランの絵がないですね。

ジャック・シラク
深夜、シャルル・ミッシェルから地下鉄に乗った。車両には数人しかいない。同時に、5〜6人連れの若者も乗車した。

彼らが、乗客に何かを言い始めた。言われた男は次の、エミール・ゾラで下車してしまった。乗っていた黒人が若者たちに注意したのだった。その黒人はたいして強そうでもないのだが、若者たちはバツが悪そうに、モント・ピケで下車した。

実は、ワタシは怖くてひと電車を降りようとと思っていたのだった。立派な黒人を見て、ヤワナ自分に自己嫌悪に陥ってしまった。



プロレス
サクレクール寺院まで行き、フニュクレールで下に下りる。もう雑踏だ。Salon de theでケーキとコーヒーで一休み。

なんとなく壁をみると、マイティ井上やモンスター・ロシモフの写真がピンで留めてあるじゃないか。店の人に聞く。これからプロレスがあるとのこと。当然、入場だ。


3等席で30フラン。力道山の時代のレスリングだった。古いなあ。でも懐かしさを覚える。ただ、ヨーロッパ式なので、相手がダウンすると攻撃しないのだった。
昼はプロレス、夜はオー・カルカッタ。あの、裸になるやつです。



ポルト・ド・ドルレアン
地下鉄4号線、終着駅。
四つ角から2番目の建物に安ホテルがあり、最初はそこに滞在していた。

この道路はパリの外環状道路。ヒッチハイクの行き先を持った若者が立っていた。




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