「映画のロケ地」を訪ねてみたら、こうだった!


(写真をクリックすると、ページに飛びます。)



ヨーロッパ

「かもめ食堂」 ― ヘルシンキ、フィンランド


舞台となった「かもめ食堂」

舞台のかもめ食堂のほか、「トラム」、小林聡美と片桐はいりが出会う「アカデミア書店」、「カフェ・アアアルト」、「エスプラナーディー通り」、トナカイの肉を買う「ハカニエミのマーケット」、「マーケット広場」、ラストシーン近くの「カフェ・ウルスラ」を尋ねた。







「サウンド・オブ・ミュージック」 ― ザルツブルグ、オーストリア 


映画にラストシーンにも登場する「ミラベル宮殿」
ここでジュリー・アンドリュースが踊りながら歌った。
映画に盛んに登場する「ミラベル宮殿」、ジュリー・アンドリュースが池に落ちる「レオポルツクロン城の池」、雨宿りする「ガラスの家」、、結婚式をあげたザンクト・ヴォルフガングにある教会、モーツアルト橋、修道院などを巡った。


映画のロケ地訪問ページは:
① 「サウンド オブ ミュージック」ツアー(左の写真と同じページ)
② 「サウンド オブ ミュージック」のロケ地を巡る





「シンドラーのリスト」 ― クラクフ、ポーランド


映画のゲットーに登場する塀
映画に登場するシンドラーの軍需工場、ナチスの兵士が行進する道路、ゲットー、アウシュビッツ第二強制収容所(ビルケナウ)などを巡った記録。


映画のロケ地訪問ページは:
①「シンドラーのリスト」旧市街ロケ地巡り(左の写真と同じページ)
②アウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所


関連ページは:
③ザクセンハウゼン強制収容所
④ベルリン発アウシュビッツ行列車





再訪―「シンドラーのリスト」 ― クラクフ、ポーランド


スピルバーグ監督の帽子
映画に登場するシンドラーの工場、ゲットーの壁、カジミエシュ地区、プワショフ強制収容所、ビルケナウ強制絶滅収容所の「死の門」を巡った記録。





「民族の祭典」 ― ベルリン、ドイツ


ベルリンのオリンピック・スタジアム
写真中央にヒットラーが登場した。
ベルリン・オリンピックの記録映画、「民族の祭典」に登場した主競技場、「前畑ガンバレ」のオリンピック・プールを巡った。





「旅情」 ― ヴェネチア、イタリア

キャサリーン・ヘプバーンを真似て運河に落ちてみた。
キャサリーン・ヘプバーンが運河に落ちたのは、「カンポ・サン・バルナバ」ですが、取りあえず運河に落ちてみました。このほか、真っ赤なゴブレットが飾られていたお店も印象的です。






「ローマの休日」 ― ローマ、イタリア


ここでジェラートを食べましたか?
写真はアン王女(オードリー・ヘプバーン)と新聞記者(グレゴリー・ペック)がジェラートを食べた「スペイン階段」です。このほか、映画に登場する「サン・ピエトロ寺院」、「真実の口」、「サンタンジェロ城」を歩いてみた。







「イル ポスティーノ」 ― プローチダ島、イタリア
ナポリから船で1時間強でプローチダ島に到着。
そこからロケ地の街まではミニバスがでている。





 9 「ハウルの動く城」 ― レンバッハ、フランス
写真はマジノ線の砲台跡。
宮崎駿監督が映画「ハウルの動く城」のロケハンで訪問し、この砲台跡を映画のシーンに取り入れたそうな。砲台が地表が突き出たり、引っ込んだりする。





10 「ハウルの動く城」 ― コルマール、フランス
写真はコルマールの税関跡。
宮崎駿監督の「ハウルの動く城」で空中散歩から降りたつテラスを発見した。
旧税関で、1階はワインを安い値段で提供していた。写真の噴水、その先の門も映画のシーンに出てきた気がする。





11
「勝手にしやがれ」 ― パリ、フランス
写真はモンパルナス、ヴァヴァン近くのカンパーニュプルミエール通り。
ゴダール監督、ジャンポール・ベルモンド主演の映画「勝手にしやがれ」のラスト・シーンのその場所。

写真の奥、人が横断しているところでしたところでベルモンドは背中に銃弾を受け、よろよろと歩き、ラスパイユ通りに面したところで息絶える。





12 「アメリ」 ― パリ、フランス
写真はモンマルトル、ABBASSES駅からすぐ。石段をのぼったところに現れる八百屋。

モンマルトルにあるアパルトマンに住むアメリはここで買物をする。




アメリカ


13 「フォレスト・ガンプ」―モニュメント・ヴァレー、フラッグスタッフ、
                          サンタモニカ、USA



モニュメント・ヴァレーをフォレスト・ガンプに
なりきって走ってみた。
「フォレスト・ガンプ」でトム・ハンクスが走ったモニュメント・ヴァレー、フラッグスタッフ、サンタモニカを巡った記録。


映画のロケ地訪問ページは:
①モニュメント・ヴァレーを走ったページ(左のイラストと同じページ)
②フラッグスタッフの「フォレスト・ガンプ」ポイントを訪問したページ
③サンタモニカの「フォレスト・ガンプ」ポイントを訪問したページ





14 「ブリット」 ― サンフランシスコ、USA


カーチェイスはこのような坂で行われた。
「ブリット」の見せ場はスティーブ・マックイーンのカーチェース。市内の20th St.、Mason St.、ロンバート St.の入口などで腕を発揮。また、金門橋を見ながらマリーナ・ブルワードを走ります。このほか市内のグレース大聖堂、ユニオン・スクエアが映画に表れます。







アジア


15 「山の郵便配達」 ― 広西チワン族自治区、中国


映画のクライマックスに登場する橋
映画「山の郵便配達」を見て、その現場に立ちたくなった。風雨橋は映画のクライマックスに登場する。写真のような精緻につくられた橋が、山里奥深くにある。住民は、毎日、この橋を通り、祝事をしたり、くつろぐのだ。

桂林から車で一日かかって三江へ。そこからバスで数時間を要する。桂林からも三江からも細い道を行かなければならない。工事中や落石などで通行を待たなければならない個所もあった。

この映画のロケの多くは湖南省で行われたと聞いた。





16 「ラストエンペラー」 ― 北京、長春、撫順、大連、中国


長春、旧満州国皇帝の仮御所
映画「ラストエンペラー」の冒頭は北京の旧紫禁城。このほか、長春にある旧満州国皇帝の仮御所、撫順にある旧戦犯管理所、大連の旧大和ホテル(現大連賓館)で撮影されたので訪問してみた。

このほか、ラストエンペラー、溥儀が関東軍と逃げた中朝国境や捕らえられて市中を引き回された延吉も巡ってみた。








17 「悲情城市」 ― 九分(亻+分)、台湾


映画に登場する家、現在は茶店となっている。
「悲情城市」の舞台、九份を訪れたのは映画が公開されて2年もたってから。台北から電車で1時間と少しで瑞芳に到着する。ここからバスを2回乗り換えた。バスで山をのぼっていくうちに、映画の冒頭と同じ青い海が目の前に広がってきた。風光明美という言葉がぴったりである。

映画は、台湾から日本が去ったあとの物語。大陸から国民党がやってきた。そして、旧来の権力者が次々と粛清されていった。台湾政府が口をつぐんできた事件を、女性の目で描いたのがホウ・シャオシェン監督だ。音楽もいい。単調で物憂げなメロディー。いつまでも耳に残る。傑作だ!





18 「ラマン 愛人」 ― サイゴン、ベトナム


映画の主人公、少女は玄関の右側の柱にもたれて
本を読みます(サイゴン、レ・ホン・フォン学校)
映画「ラマン 愛人」にはサイゴンのショロン地区にある市場(サータイ市場)、市内のレ・ホン・フォン学校、ドンコイ通りがサイゴン川に突き当たるところにあるマジェスティック・ホテルが現れます。

レ・ホン・フォン学校はなかなか発見できなかった。かなりの時間を費やしました。

 





19 「インドチャイナ」 ― ハノイ、サイゴン、ハロン湾、ベトナム


映画でカトリーヌ・ドヌーブがお茶するホテル・
コンチネンタル・サイゴン。写真右は市民劇場)
映画「インドチャイナ」のロケ地、サイゴンのホテル・コンチネンタル・サイゴンがあるドンコイ通りやハロン湾を巡ってみました。また、ロケ中、カトリーヌ・ドヌーブが通ったというスイーツ店(ハノイ)も訪問。お茶しました。


映画ロケ地訪問ページは:
ハロン湾
カトリーヌ・ドヌーブが通ったスイーツ店





20 「地雷を踏んだらさようなら」 ― シエムリエプ、カンボジャ


写真家、一ノ瀬泰造さんが活躍したアンコールワット
一ノ瀬泰造さんは1970年代初めポルポト軍の支配するアンコール・ワット周辺の写真を撮りつづけた。だが、26歳になったとき、ポルポト軍に捕らわれ、食物を与えられず、殺されてしまったらしい。

ホテルからトクトクで一ノ瀬泰造さんが足しげく通ったという食堂を訪れた。彼が好きだったという料理がメニューとしてある。そのうちの1品と豚肉と野菜の炒め物を注文する。ここは一ノ瀬泰造さんの記念館(タイゾー・メモリアル)にもなっている。彼の足跡が、撮った写真とともに壁に展示してある。一ノ瀬さんはこのレストランのつてで下宿をシエム・リアップ市内に借り、生活したのだった。



映画のロケ地訪問ページは:
映画の主人公、一ノ瀬泰造さんが住んだレストラン訪問記





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