ペナン

日本人墓地、旧日本人町、慰安所(?)跡

2016年7月30日〜8月3日




日本人墓地
19世紀後半から、ペナンには日本人が住み始めたそうです。1910年にはその数、207名。多くは「からゆきさん。

日本人墓地はペナン日本人会によって、きちんと管理されていました。ここに至るまでは……墓石が打っちゃられ、荒れ果てていたそうです。在留邦人が写真のように手厚い保護をしてくれています。
この墓地はコムタの西、住宅街にありました。行き方については、インターネットに詳しく紹介されていますから、割愛します。

写真のように立派な墓石もありますが、からゆきさんの墓は後で形を整えたようにも見受けられます。それでもありがたいことです。

真向かいの家に管理人がいると、近くの人が教えてくれました。墓地の門を開けてもらおうと思いましたが、留守でした。線香のほかに、蚊取り線香や虫除けスプレーを持参して正解でした。



からゆきさんが眠る!



日本人学校
日本人墓地と大通りを隔てたところにある日本人学校です。
ちょうど、夏季休暇中で生徒はいませんでした。



旧日本人町
コムタ(バスターミナル)から東に歩くと、すぐにシントラ通りにでます。
ここは日本人町だった。日本人経営のお店や歓楽街があったそうです。現在はその面影はまったくありません。ただ、写真のように、標識があるだけです。

日本人はこのシントラ通りからペナン通りにかけて住んでいたようです。



夕食、大東酒楼
シントラ通りは何度も歩きました。
飲茶のお店が何軒かありました。いずれも地元客で混んでいて、美味しそう。一軒に、夕方、入ってみました。

下の写真の通り、点心、お粥などを車に乗せ、料理を運んできます。
特別にチマキを注文するには、中国語の名前が分からなかったので、説明するのに時間がかかりました。

料金は驚くほど安かった。1000円弱。その上、美味しい。







慰安所跡
日本兵の慰安所だったとされる建物です。
ビルマ通りとZainai Abidin通りの角にあります。写真の中央置くの円形ビルはコムタ。

現在もその種の役割を果たしているそうです。女の子はビルマの山岳民族だとガイドは言っていました。




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