パリ、モンパルナス

ヘミングウエイ、ヘンリー・ミラー、藤田嗣治の足跡を歩く!

2015年8月21日〜23日




ヴァヴァン交差点から歩き始める!



ル・セレクト

ヘンリー・ミラー、ジェームズ・ボールドウィン、
映画監督のルイス・ブニュエルが愛した。

映画「勝手にしやがれ」でベルモンドが車で乗りつけ、
煙草を吸うシーンが印象的だ。



ラ・ロトンド

ヘンリー・ミラー、ピカソ、レーニンなどにが通った。

真夏の昼のひと時、客は少なかった。



ル・ドーム
暑いので、一休みした。写真のようにガラガラだった。
1917年のロシア革命前にはレーニン、トロツキーが通い、ヘンリー・ミラーも常連。ヘミングウェイの「移動祝祭日」に登場する。



ラ・クーポール
ルイ・アラゴンからダリ、ピカソ、藤田嗣治、アルベルト・ジャコメティ、などが常連だったと。ガイドブックにある。



モンパルナス大通りから裏道へ!



ノートルダム・デ・シャン通りに分け入る!



ヘミングウェイが住んだアパルトマン
ヘミングウェイがパリにやって来たのは1921年の暮。一時、カナダに戻り、1924年2月にパリに戻った。

彼はノトルダム・デ・シャン通りにある写真のアパルトマンに住んだ。パリで住んだ2番目のアパルトマンとなる。



ヘミングウェイが通ったパン屋さんの裏口

表はモンパルナス大通り
上のアパルトマンと通りを挟んであるのがパン屋さんの裏口。ヘミングうぇいはここから入って、パン屋に行き、バゲットを買ったのだな。

ヘミングウェイもこの看板を見たのだろうか?
看板を見て、上気していると、「郵便局はどこですか?」と道を尋ねられました。こっちはヘミングウェイに感動しているのだ。道なんか尋ねないで欲しい。



モンパルナス大通りに戻る!



パン屋さんの表側
ヘミングウェイがよく通ったパン屋の表(モンパルナス大通り)に回ってみた。ここから入って、上の写真の裏口に出られる。
日曜日、パン屋さんは閉まっていた。



「日はまた昇る」に出てくるレストラン!
パン屋の直ぐ近くに、このレストランはある。
「ネグル・ド・トゥルーズ」という店名だった。ヘミングウェイが頻繁に訪問したレストラン。現在は別の名前になっている。



モンパルナス大通りをポール・ロワイヤル駅近くまで歩く!



ラ・クローズリー・デ・リラ

このままポール・ロワイヤル駅方面に歩く。
「クロズリー・デ・リラ」だ。

このレストランでヘンリー・ミラー、ヘミングウェイが小説を執筆した。このほか、エミール・ゾラ、セザンヌ、ランボー、アポリネール、セザンヌ、マリー・ロランサン、ピカソ、ゴーギャン、サルトルなどの芸術家が通った。

この日は休み。店を清掃していた従業員に尋ねると、3連休だという。ヘミングウェイのテーブルで食事をしたかったのに。これで今回は訪問できず。
写真のネイ将軍像は「クロズリー・デ・リラ」の傍の広場にある。「日はまた昇る」の主人公のが見上げる像だ。



ヴァヴァン交差点方面へ歩く!



ロマン・ローランや佐伯祐三が住んだアパルトマン!


モンパルナス大通りの向こう側に渡り、ヴァヴァン交差点方面へ。
佐伯祐三やロマン・ローランが住んだアパルトマンだ。



ドランブル通りへ



藤田嗣治のステュディオ
ヴァヴァンの交差点から西へ。
ドランブル通りを歩くと藤田嗣治が1917年から1924年まで、ここでステュデイオを構えた。モディリアーニが藤田に会うためににこのステュデイオにやってきたのか。
その銘板があった。



オテル・レノックス
1925年5月、ヘンリー・ミラーがアルフレッド・ペッレに会った。彼の名作「クリシーの静かな日々」の元となった生活を送ったホテル。

また、ヘンリー・ミラーは1928年から1930年まで妻とこのホテルで暮らした。



ル・ローズバッド

サルトルとボーボワールが通ったバー。

薄汚い服を来た人が、店の前で寝ていた。



ゴーギャンが住んだオテル・ドゥランブル



ヴァヴァン通りの美しすぎるアパルトマン
ヴァヴァンの交差点を通り過ぎ、モンパルナス駅の方へ歩く。ル・セレクトの脇を北に。ヴァヴァン通りに白亜のタイルを張ったアパルトマンがある。

このアパルトマンは各階、2戸しか住んでいないそうだ。



エドガー・キネの市場
先ほどのアパルトマンからトゥール・モンパルナスを右に見て、モンパルナス墓地の方に歩く。

エドガー・キネの市場だ。
ある果物を見つけたかったのだが、発見できず。



いい匂いがしていた。

この椅子は60ユーロの値段がついていた。



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