コロンボ

セイロン美人とお散歩したが……

1994年2月

グランド・オリエンタル・ホテル、7階のレストランである。ピアノがクレイダーマンの曲を演奏しているのだから、時代から取り残されたような雰囲気だとお分かりだろう。

窓の外には旧港の灯が建物の輪郭を照らしている。沖には、荷を降ろす船が何隻も待機している。涼しくなってきたようだ。
セイロン美人を前にビールである。
もう少しましな食前酒でいけばいいものを。ハイネケンで女性を口説こうとはいい根性だ。

イギリスが建築したビルが威圧するように聳える。
「あの海の向うにモルディブがあるのか。ふたりで、ダイビングに行こうか?」
美人は宝石のような瞳で見返す。テーブルの下からそっと手を伸ばしてみる。細い、冷たい感触が心地よい。

彼女はこのホテルのオーナーの娘さんなのだ。濃い赤の民族服と黒い髪が薄暗い照明の下で映える。なぜ、ここに? セセプションにいたから誘ったら、ついてきた。それだけなのだ。

「コロンボから、たった1時間でモルディブだ」
彼女は微笑む。特に拒否の態度を示さないから、承諾したのに違いない。でも、頭がくらくらする。寒気も……。
夕方、彼女と散歩したのだった。
ゴール・フェイスと呼ばれる散歩道。恋人を夢見て歩いてみたものの、暑い。現地の女性は暑さに耐えられるが、ムリだった。40度近い熱気の中、夢見心地の代償はカクランなのだ。
「頭がくらくらしてきた」
ビールを一口飲む。
「大丈夫? 部屋で、休んだら?」
インド洋の宝石に見つめられ、元気が回復したような気がする。だが、すぐに、悪寒がした。
「やはり、部屋に戻るよ」

翌日、コロンボ発マレ行きのエア・ランカ機内である。トライスター機は冷房をこれでもかと効かせ、まだ寒気のするわたしを痛めつける。
隣の日本人客に話しかける。
「いいですね。モルディブへフルムーンですか?」
「わたしはね、あんたの年齢のころは随分、働いたんだ」
「スミマセン」
「今の日本の基礎をつくったんだよ」
「ありがとうございます」
「わたしはね、旅行が好きでね、船旅がいいな。アラスカ、カリブ海、南太平洋へ行った。船旅は最高級の部屋に泊まらなきゃ」
でも、この席はエコノミーのぎゅうぎゅう詰めですよ。気の弱いワタシは言えませんが。

コロンボ市内、椰子の実売り
「世界中、どこへでも行ったな」
そのうちに、奥さんも会話に入ってくる。
「エベレストはよかったでしょう」
「寒いから行ってないよ」
「南極への船旅は揺れるんでしょ?」
「あそこへ行くと死ぬと言われているから、行かないんだ」
「死ぬんですか?」
「南極へ行ったひとは、みな死んでるぞ」
「そうですよね、人の死亡率は100%ですから」

「ところでスリランカはどこへ?」
「いや、この飛行機で東京から来たんだ」


椰子の実は妙に生ぬるく美味さイマイチ。
「食事だって、よかったです」
奥さんが割りこむ。すかさず、エコノミーの席で、配られた冷たいサンドウイッチを噛んでみる。
「南太平洋を船で回ったときにね……」
寒気が続いている。話しかけてしまったことを悔やむ。
「よかったでしょう。2週間くらい回ったのですか?」
「忙しいから。1日だよ」
「そうなのよ。わたしたち家を空けられないの」
「楽しんでください」


誤解する人がいるといけないので……、
文中のインド洋の宝石嬢はこの人ではありません。



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