カトマンズ

囁く男

1992年4月



カトマンズの空港で飛行機を待っていた。文庫本を読みふけっていたら、若い日本人男性が右肩を下げ、両手を突き出しその先には名刺をかかげ近寄ってきた。それも横歩きだ。

朝6時30分、国内線のロビーである。
「○○さんですか? わたしこういう者です」
わたしの名前を呼ぶ。まさか、異国で! 名刺には東京都港区、X観光、クボと書いてある。

「はい、わたしクボです。昨夜、社長のウエハラから、昨夜、突然シャンボジェに行けと言われまして……、それで○○さんといっしょに行くことになりました」

ロビーは早朝のマウンテン・フライトに搭乗する乗客でごった返している。日本人が半分、欧米人が半分だ。

わたしはマウンテン・フライトではない。リュックサックなんて持っていないし、服装だって韓国製のリーボック(自慢しているのですぞ、誤解のないように)、マレーシア製のリーバイス、インドネシア製のシャツ、ナイスなバディだけが日本製である。

これに対し、クボさんは登山靴と来たもんだ。それに皮ジャンだ。おまけに、リュックサックは小さなポケットすべてに鍵がついている。本格派じゃないか。旅のベテランじゃありませんか。頭だって、天然パーマだ。



スワヤンブナート寺院


クボさんは20歳代後半か。高貴な匂いまで立ち上っている。わたしは引け目を感じてしまう。だって、荷物は三越の紙袋の中に、パスポート、財布、本がごちゃっと入っている。エベレストの麓までいく装備ではない。日曜日に、お父さんがタバコを吸いにコーヒーショップに行くような風情だ。

「昨日まで、団体でポカラに行ってまして……、地図が悪くて、1時間で歩けると思っていたのですが、結局8時間も歩かされましたよ」
延々とポカラの美しさを囁く。
「ここで出発検査のとき、ライターを取られませんでした?」
「吸わないもの」
「ああ、そうですか。ひとり、悪いやつがいましてね、ライターを集めるのが趣味の検査官がいるんです。乗客から取り上げるんですよ。それで、わたしが掛け合って取り返したことがあるのです」

「実は、昔、文楽をやっていましてね、それで身をたてようと思っていたのです」
やれやれ、今度は身の上話だ。カウンターに行き、コーヒーを注文する。すると、クボさん、ここまでついてくる。そして、囁き続ける。

カトマンズ市内にて
「ちょうど日本に公演に来ていたインドの楽器、シータに魅入られまして、インドに渡りました」
おいおい、一代記を始めるの? 
「カルカッタに住んでいまして、向こうのラジオにも出演しました」
栄光の日々を酔ったように話し続けるクボさん。だが、文楽を辞めることになった日々はカットするのだ。

「ところで、わたし、どこへいくんでしたっけ」
話を打ち切ろうと、別な話を切り出す。
「シャンボジェ、ですよ」
きりりとして言うのだ。
「耳栓、持ってきました? 気密性のあるジェット機と違いますから、音が煩いんです」

「それに揺れますし、安定性に欠けるんです」
お前の方が騒音なんだよ。気が弱い、わたし、言えないのだ。

マウンテン・フライトを終えた乗客がぞろぞろ降りてきて、待合室がいっぱいになる。
「天候回復待ちで、下ろされたんです。今日、朝はやく空港にきたのに、いつシャンボジャへ行けるかわからないですね」
日本語のガイドブックを持った人たちでカトマンズ空港がざわめいている。


シャンボジェ

カトマンズから軽飛行機で45分。1973年6月、日本人が飛行場をつくった。


「今、8時半ですか。2時間待ちでマウンテン・フライトは出発できそうです。あれでは、7時半のマウンテン・フライトは欠航ですよ。

ああ、ポカラ行きの便も欠航かな。我々の便も、飛べても、向こうの気候が悪ければ引き返すことになります。3回くらい着陸を試みることはよくあります。

今日がダメなら、明日ですね。ネパールでは飛行機が飛んでくれるだけでもありがたいんです。この間は1週間、飛べなかったですからね」

エベレストは遠いのだ。わたしはコーヒーカップを置き、近くの椅子に腰を下ろす。すかさず、クボさんは後を追うのだ。

まだ、空港からは何のアナウンスもない。すでに3時間がすぎた。



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