バンコク

谷恒生の「バンコク楽宮ホテル」

1991年10月



地球の歩き方90−91。アカマルが楽宮ホテル。ジュライホテルも載っている。

楽宮旅社
谷恒生の傑作「バンコク楽宮ホテル」を読んで、いてもたってもいられなくなってバンコクを訪れた諸兄も多いだろう。

何を隠そう、わたしもその一人。主人公の加田さんになりきってバンコクに現れたのは1991年10月のことだ。

場所はヤワラー(中華街)の外れ、ホアランポーン駅までバスでやってきて、地図を見ながら運河の臭気を払いつつ歩き出す。

大型トラックから荷物を降ろしている人たち。食堂で粥をかきこんでいるランニング・シャツの中年の男。外に椅子を持ち出し、仕事の監督をしている化粧っ気のない若い女。中国人だらけだ。車がやっとすれ違うことのできる狭い路地に、掛け声が溢れる。人々が働いている! 本当にここはバンコクなのだろうか。タイ人は昼間は眠っているか、ぼんやりとしていると信じ込んでいたのに。

「楽宮旅社」は4階建、1階は食堂、2階以上が部屋になっている。旅社の雨戸は閉じられていて、淀んだ空気が漂っている。夜の勤めを待つ姫君たちも体を休めていることだろう。

ここが谷恒生「バンコク楽宮ホテル」の舞台である。目を閉じ、小説の世界に入る。著者の分身である加田さん、フリーライターのふじやん、狂犬病氏たちの声が蘇る。とうとうやってきたのですよ。加田さん。

中国人の声が喧しい。日本語でも無銭旅行なんて死語になってしまった。「楽宮旅社」ほどの安ホテルに滞在するものはいないのだろう。学生でさえ金をたっぷりともって旅行している。1960年代、沢木耕一郎が、谷恒生がアジア大陸を行き来したそのころである。バンコクはヨーロッパへ行くものと、戻ってくるものとでごった返していたのだろう。旅行者の多くは、バンコクの心地よさに負け、長逗留していたのだ。
旧王宮の近くで

ワット・アルン
ロータリーに向う。
噴水の周りに木々が日陰をつくっている。中国人がタバコを吸っている。集会のように集まっている人々もいる。よく見ると、集会のようで、集会ではない。ただ、集まっているだけのようだ。

適当にひとつの道を選び、ロータリーを後にする。ジュライホテルと看板がでている。日本人旅行者の人気ホテルだ。このホテルは部屋にシャワーがついている。もちろん、エアコンもあるし、実際に動くのが素晴らしい。



ジュライホテルの1階はコンクリートだ。オートバイがごちゃごちゃと置かれている。分かりますよ。オートバイは高価なので、建物の中に置いておく。壁には日本語の連絡メモ。古本を交換しよう。航空券の安いのは、どこで手に入るか。こういった類の情報が氾濫している。

なおも道路を進む。表どおりだから、危険は感じない。でも、鞄を腕の中に抱える。向うに娘さんが立っている。目があう。女性は逸らさない。普通の娘さんならば、恥ずかしそうにうつむいたりするのだが……。彼女が立つ家の奥には化粧をした娘が5人。なるほど、姫君か? 

歩いていくと、日本のビデオ、いかがわしそうな本、黄金のブッダ、キンキラ金のオメガやローレックス、布地、靴下、ブランドモノの財布、マンゴスティン、ドリア、ランブータンなどの果物、焼鴨、焼豚、豚足、漢方薬を売っている。そのほか映画館、金行などなど。


チャオプラヤ川
じめじめした路地。店の前には屋台が張り出し、人間がひとり通れる幅しかない。花火、干物、ザー菜、ありとあらゆるものが積み重ねてある。路地をどんどん奥に入っていく。建物の影に隠れ、太陽が届くことはない。

食事をしている人。足早に歩く人。だんだん雰囲気がおかしくなってきた。立ち止まって周囲を見る。女性ばかりではないか。黒い髪の女性。黒いズボンに白のブラウス。白と黒の世界に入り込んでしまったのか。

ここはタイじゃない。原色のけばけばしい装いがない。いつもなら、女性に囲まれると、自慢の眉毛がだらしなく垂れるのだが……。不気味だ。看板が目に飛び込む。「美女理髪室」。一体なんだ。床屋らしいが。胸がどきどきする。慌てて路地を脱出する。通りに出ると、「冷気茶室」とある。男が爪楊枝をくわえながら出てくる。エアコン付の食堂か? でもいかがわしそうだ。

チャイナタウンは奥にいけばいくほど迷路のように路地が続く。突然、中国人の少女が米をといでいたりする。素晴らしい、だがちょっと緊張するところだ。




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