ルート |
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ルートはバンコクからチャンタナブリをとおり、トラートへ。 そこからクロン・ヤイ、ハット・レックとした。 |
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トラートに到着 |
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トラートにて |
一応、ボーダーマニアを自称する身としては、ハット・レックから海路カンボジャ上陸という可能性を試したい。だって、タイ人のみ出入国可能となっている地点でチャレンジしたいじゃないですか。 それでバンコクから400Km程度なら、車をチャーターしていけばいいだろうと軽く考えたのだった。ついていないとはこういうことを言うのか。パタヤをすぎたところで、エア・コンが故障だ。 エア・コンなしで熱帯の国道をひた走ることとなった。窓を開けて、埃を吸い込みながら走った。 |
クロン・ヤイまで |
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クロン・ヤイへの道 |
トラートに到着したときは正午になっていた。5時間かかって300Kmを走ったのだ。道の両側には100軒程度の家があるだけの地方都市である。 ここでぶっかけ飯を腹に入れる。 さてと、次のクロン・ヤイだ。国道はだんだん狭くなってくる。左側はカンボジャとの国境だ。緑の山々が障害になっているが、山をひとつ越えればカンボジャ。実際は、山を越えるのは難しいのかも。 タイに逃げても、生きていくのは大変なのだろう。若い娘ならバンコクで水商売にありつけるのだろうが。 |
クロン・ヤイ |
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ハット・レックで迷う |
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ハット・レックに到着したのは、クロン・ヤイを出てから2時間を要した。その間に、国境警備兵に3度の検問を受けた。ボンネットまで開けさせられ、不審な荷物がないかを確認してからハット・レックに入ったのだ。 ハット・レックの入口に車を置き、坂を下って集落に入る。椰子の木々がいかにも南国らしい。下はぬかっている。スコールがすぎたばかりだ。 10艘くらい、ボートが係留されている。波が荒いのに、カンボジャまで乗り切れるのだろうか。 「カンボジャまで500バーツだ。乗らないか?」 「俺、日本人ですが、いいの?」 陽に焼けた男がふふんと笑う。 「行って、戻って500バーツなんだな」 「戻ってくるのかい?」 分けのわからないことを言う。カンボジャに行ったきりでは困る。 「こんなに強い波で、大丈夫かな?」 「転覆するだろうな」 いったい、どういうことなのだろうか。 |
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カンボジャはどこ? |
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ハット・レックは小さな集落だ。 いったいイミグレーションはどこにあるのだろうか。あたりをうろついたが、見当たらなかった。 「出してもらおうか」 「カンボジャ、行く?」 500バーツを払い、カンボジャに向けて舟を出してもらう。 係留地をでると、舟が前後左右に揺れ始める。風を一緒に水が舟にかかってくる。 「水が、たまってしまう」 「これでかき出してくださいよ」 バケツを渡される。あまりにも揺れるのでバケツを使えない。 |
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トラートへ戻る |
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「海に落ちてしまうよー」 「捕まっていろよ」 「戻って、戻ってください」 カンボジャは懲りた。 何度も検問にあう。 わたしはカンボジャ人ではないと、すぐに分かるのだろうが、検問は執拗だ。写真のように、徹底的に調べられる。 |
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喜ぶシアヌーク殿下 |
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「戦争は終わった」 1991年9月初め、パタヤで満面の笑みをたたえたシアヌーク殿下は、記者団に甲高い声で叫んだ。いつもながら、彼は演出がうまい。新聞の見出しを飾るような文言を吐く。 彼は12年に及ぶカンボジャ内戦の和平実現にこぎつけた。3派会談のために8月末からタイを訪れていたのである。いまさら、である。内戦はとうの昔に終わってしまっている。アランヤプラテートで鉄砲をぶっ放しているカンボジャ人は、もはや政治的な意味合いなど持っていない。ただの物捕りである。盗賊にすぎない。 カンボジャのビジネスマンはもうバンコクに出没したり、ラオスで商売している。政治家は社会主義やら共産主義やらと騒いでいるが、そんなことは関係なさそうだ。そこを知っているから、シアヌーク殿下はメリハリをつけ、自分が歴史を作っているかのような印象を演出し、存在感を際立たせる。国家元首として、2ヶ月後にはカンボジャに戻るのだ。 |
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和平実現 プノンペンは変わりつつある。それは次のようなことからも分かる。 @ プノンペン空港に、冷房装置のついた建物を建築中 A 45台ものベンツが、プノンペンを走っている B ファクシミリが4台から12台に増加 C あるホテルのオーナーは200人もの愛人を囲っている。 シアヌーク殿下が帰国すると、わたしよりも多いとして、一悶着あるかもしれない。 D カンボジャ人のIDカードが500米ドルから700米ドルに値上がりした。 E 貸ビデオ屋が開店した。1泊20円 F 台湾のビジネスマンがカンボジャに進出し始めた。 G シアヌーク殿下の邸宅をメコン川沿いに建築中 |
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